… … …(記事全文3,321文字)12月8日、親子2代に渡り独裁体制を築いてきたアサド政権が崩壊した。強固な独裁体制を築いていたアサド政権が、なぜこのタイミングであっけなく崩壊したのだろうか?
●アサド政権は油断していたのか?
<2024年12月9日 NHK>
アサド政権崩壊の直接的な原因は、11月27日から始まった反政府勢力の一斉攻撃だ。反政府勢力は北部のアレッポや中部のハマ、ホムスなど主要都市を次々と制圧、首都ダマスカスに迫ると、アサド大統領はさっさとロシアに亡命した。2011年以降「アラブの春」という名の欧米の侵略に抵抗し続けてきたアサド政権がわずか12日間で崩壊したことは、世界に衝撃を与えた。
<わずか12日でアサド政権は崩壊した>
西側のメディアはアサド政権崩壊の遠因として、「アサド大統領は油断していた」「アサド大統領は残虐でシリア国民の恨みを買っていた」「シリア国民は反政府勢力を支持していた」「ロシアとイランはそんなアサド大統領を見捨てた」「政府軍は弱体化していた」などと報道している。
<2024年12月11日 NHK時論公論>
そして、残虐なアサド政権を倒した反政府勢力は正義だという論調で報じている。
<2024年12月13日 時事通信>
<2024年12月10日 日テレNEWS 幼い子供?>
<2024年12月10日 ヤフーニュース テロリストが正義に変身?>
だが、いつものごとく、これらは全て西側諸国のプロパガンダだ。
すでに現地からの報道ではボロも出ている。