■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ <1ヶ月にビジネス書5冊を超える知識価値をe-Mailで> ビジネス知識源プレミアム(水曜刊:660円/月:税込):Vol.1340 <Vol.1340号:正刊:国際銀行マフィアの陰謀の歴史(後編)> 2023年5月24日:銀行システムが含む、信用通貨の偽装信用 ウェブで読む:https://foomii.com/00023/20230525080000109438 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ホームページと無料版申し込み http://www.cool-knowledge.com 有料版の申込み/購読管理 https://foomii.com/mypage/ 著者へのメール yoshida@cool-knowledge.com 著者:Systems Research Ltd. Consultant吉田繁治 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 増刊の前号では、 ・1913年のFRBの設立、 ・1914年からの第一次世界大戦、 ・戦後米国のインフレから1929年の資産バブル、 ・1929年~1933年までの、資産バブル崩壊と大恐慌までを示しまた。 いずれもFRBの奥の院の、国際銀行マフィアの策動によるものでした。FRBは、公式には「金本位のドル発行機関」として作られました。しかし実態は、金の部分準備による、金為替通貨でした。金準備高の数倍から10倍のドルを発行する中世の金匠の方法です。 【金の部分準備制】 「ドル発行高÷金準備高(金の量は不明)=FRBの信用乗数」でした。乗数が公表されることは、設立当初から、なかった。金本位だった世界の中央銀行に共通したことです。イングランド銀行、明治の日銀、ドイツ・フランス、イタリア、スイスの中央銀行も同じでした。 金の部分備制は、金との交換が可能とする兌換通貨を、信用で発行するものです。人々が中央銀行に来て、兌換通貨を示して金との交換を要求することはマレでした。中央銀行の金は流出しなかったのです。明治の日銀でも、円を金に交換要求する人は少なかった。 金と兌換紙幣の関係は、金地金とETFに似ていたのです。 兌換券では金の交換価格が決められています。 このため、市場の金価格が上がると交換要求が増えます。従って中央銀行は、常に、金価格を公定価格に抑制する必要があったのです。… … …(記事全文21,185文字)