━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 山田順のメールマガジン「週刊:未来地図」 No.616 2022/06/28 ロシアは必ず負けて衰退する! フィンランド冬戦争・継続戦争の教訓 (1) ウェブで読む:https://foomii.com/00065/2022062809000096154 EPUBダウンロード:https://foomii.com/00065-96230.epub ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 最近、ウクライナ戦争が膠着状態に陥ったせいか、これまでの西側報道を否定し、ロシアの肩を持つ見方が広まっている。また、最後の1人まで戦うというウクライナの姿勢を批判する声も出てきた。 しかし、歴史に学べば、ロシアの政治戦略と戦争のやり方は、帝政ロシア、ソ連を通してまったく変わっていない。歴史は、今後、ウクライナ戦争がどうなるか、そのなかでロシアがどんな行動に出るのかを教えてくれる。ロシアに正義があるはずがなく、いずれロシアは衰退していくと見るのが正解だ。 今回から続けて3回(今日、明日、明後日)、フィンランドがソ連と戦った「冬戦争」と「継続戦争」について、ウクライナ戦争のテキストとして詳述する。 [目次] ────────────────────────────── ■これまでロシアは戦争に勝ったことがない ■冬のこの時期に攻めてくるわけがない ■日本よりはるかに豊かな北欧国家 ■スウェーデン人にもロシア人にもなれない ■ロシアと欧州の大国との緩衝地帯 ■日本と同じ枢軸側で第二次大戦の敗戦国 ■本と映画に描かれた冬戦争と継続戦争 ■「独ソ不可侵条約」とその裏の秘密協定 ■英仏に見殺しにされたポーランド ■ロシアの身勝手な理屈と罪の言い逃れ ■国境線を移動させろという理不尽な要求 ■得意の「偽旗作戦」で軍事侵攻を開始 ────────────────────────────────── ■これまでロシアは戦争に勝ったことがない 東部戦線でロシア軍がウクライナ軍に攻勢をかけ、東部2州は制圧されつつある。そうなると、結局、ロシアの勝ちではないのかということで、日本でも「ゼレンスキー疲れ」「ウクライナ疲れ」が言われるようになってきた。 先週、NATOのストルテンベルグ事務総長も、「われわれは戦争が何年も続く可能性に備える必要がある」と言い出した。 しかし、私は、ロシアがウクライナ戦争に勝利することはけっしてないと考えている。今後、ロシアは確実に衰退し、ロシアの連邦国家としての崩壊もありえると思っている。 なぜなら、今日までの状況を見ていると、ロシアという国は昔と少しも変わっていないからだ。帝政ロシア、ソ連といまのロシア連邦の政治戦略、戦争のやり方は、ほぼ同じだ。歴史をひもとけば、それがわかる。 ただし、第一次大戦、第二次大戦などの大きな戦争ではなく、ロシアとヨーロッパの小国との限定戦争だ。 とくに、ソ連がフィンランドを侵略した「冬戦争:Winter War」(第一次ソ連フィンランド戦争)とそれに続く「継続戦争:Continuation War」(第二次ソ連フィンランド戦争)は、いまのウクライナ戦争とそっくりである。ロシアという国は、近現代史においては戦争に勝ったことはない。第二次大戦でドイツに勝てたのは、アメリカが「武器貸与法」でソ連に大量の武器を送ったからだ。 実際、ソ連は日露戦争では日本に負けているし、フィンランド冬戦争でも、わずかな領土を強奪できただけで、実質的に負けている。 ■冬のこの時期に攻めてくるわけがない フィンランド冬戦争は、1939年11月30日、ソ連陸軍がカレリア地峡の国境線を越えてフィンランド領内に侵攻、同時にソ連空軍がヘルシンキを突然空爆したことで始まった。 フィンランドとソ連の間には、1932年に交わされた不可侵条約があった。したがって、フィンランドはいくらソ連から、領土割譲と交換の恫喝的要求を受けても、戦争にはならないと考えていた。しかし、ソ連は日本に対してもそうだったように、国際条約など平気で破るのだ。 もちろん、フィンランドは、ソ連軍に対してある程度の備えはしていた。しかし、誰もがまさか冬のこの時期に、ソ連が軍を動かすとは考えていなかった。スターリンがそんな馬鹿げたことをするとは予想すらしていなかった。 この点、西側が十分に警告し、侵攻があると指摘されたウクライナ戦争とは違っている。しかし、その侵攻が「偽旗作戦」によって行われたことは同じである。 こうしてフィンランドにとって予期せぬこととして勃発した冬戦争は、約3カ月続き、翌1940年3月13日の停戦成立によって終結した。 この間、圧倒的な軍事力の差があったにもかかわらず、フィンランド軍は戦い抜き、祖国の独立を守ったのである。 ■日本よりはるかに豊かな北欧国家 フィンランドといえば、いまでは「世界一幸福な国」として、日本でも有名だ。国連が発表する『世界幸福度報告書』では、5年連続1位に選ばれている。 しかし、この幸福な国は一朝一夕でなったわけでなく、近現代史において特筆すべき戦争を経てできあがったのである。 フィンランドと聞いて、ムーミン、サンタクロース、オーロラ、サウナ、マリメッコなどを思い浮かべる人が多いと思うが、つい数年前までの私もその1人で、北欧にはあまり興味がなかった。それが、娘がフィンランド男性と結婚してしまったので、この国のことを深く知ることになった。 首都ヘルシンキは、数ある世界の首都のなかでも素晴らしい街の一つだ。 フィンランドの1人あたりのGDP (2021年度のIMF統計に基づく名目ベースの人口1人当たり当たりGDP)は5万4008ドル。日本は3万9340ドルだから、はるかに豊かな国である。 ちなみに、ロシアは1万2198 ドルで、ウクライナはわずか4828ドル。欧州でも最貧国のウクライナを、1人あたりのGDPが約3倍のロシアが侵攻するのは、完全に弱いものイジメとしか言いようがない。 しかも、ロシアはウクライナの工業地帯である東部2州を完全に奪いつつあるのだ。 ■スウェーデン人にもロシア人にもなれない フィンランドの国土は、日本よりやや狭い33.8万平方キロで、人口は日本の約21分の1の約553万人。よって、人口密度は極端に低く、国土のほとんどは森と湖。しかも、北部のラップランドは北極圏に位置し、冬の間は雪に覆われ、昼間は短い。 こんな国から領土を奪おうというのだから、ソ連のスターリンは権力と野望の塊だったと言うほかない。プーチンはスターリンの再来という見方があるが、私も同感である。 フィンランドの悲劇は、ロシアの隣国であり、国境を約1300キロにわたって接しているという地政学的な要因がすべてと言っていい。 フィンランド冬戦争までのフィンランドの歴史をざっとたどると、中世におけるフィンランドは、約600年間スカンジナビア半島を支配していたスウェーデン王国の統治下に置かれていた。その後、スウェーデン王国とロシア帝国がバルト海の覇権を巡って争い、スウェーデン王国が負けると、1809年からロシア帝国の支配下に入った。 このロシア支配は、1917年のロシア革命まで続いた。 フィンランド人のアイデンティを確立したとされる民族叙事詩『カレワラ』は、ロシア帝国支配下の1835年に出版された。そのなかに、「われわれはスウェーデン人には戻れない。しかしロシア人にもなれない。そうだフィンランド人でいこう」という一節がある。 これが、現在まで続くフィンランド人の民族意識の原点である。 ■ロシアと欧州の大国との緩衝地帯 中世から近代にかけて、スウェーデンとロシアがフィンランドを巡って対立したように、いま、ロシアはフィンランドをめぐってNATOと対立している。ウクライナも同じだ。 第二次大戦以前は、ロシア(ソ連)は、フィンランドを巡って当時の欧州の大国となったナチスドイツと対立した。つまり、フィンランドは常に、ロシアと欧州の大国との緩衝地帯だったのである。 これは、ウクライナの地政学的な状況とまったく同じである。ウクライナはロシアと欧州の大国との緩衝地帯である。ただし、フィンランドのほうがロシアに対する危険度は高い。 なぜなら、ロシア帝国の帝都であったサンクトペテルブルクとフィンランドの首都ヘルシンキとは380キロほどしか離れていないからだ。サンクトペテルブルクは、プーチンの出身地である。 フィンランド冬戦争は、このサントペテルブルグとフィンランド国境の距離が近すぎるということで、ソ連が因縁をつけたことが原因である。 ■日本と同じ枢軸側で第二次大戦の敗戦国 フィンランドが民族意識を高め、完全な独立国となったのは、第一次大戦の後半に起こったロシア革命の混乱に乗じて、1917年12月6日に独立宣言をしてからである。その後、フィンランドは今日まで、どの国の支配下に入ることもなく独立を守り続けてきた。 1939年から1940年にかけての冬戦争、1941年から1944年にかけての継続戦争を戦ったのも、独立を守るためだった。継続戦争では、ドイツの助けを借りたため枢軸側として第二次大戦の敗戦国となったが、この敗戦は日本とはまったく違うものだ。 日本人は、フィンランドが日本と同じ枢軸側だと知ると喜ぶが、フィンランド人はそんなことで日本に親近感は抱かない。 ただし、フィンランドにとっても日本にとっても、ロシアが宿敵であるということは一致している。歴史を見れば、ロシアは常に近隣諸国に隙があれば侵攻してきた。日本の場合、「日ソ不可侵条約」があり、「ポツダム宣言」によって敗戦を受諾しているにもかかわらず、ソ連軍に侵攻され、北方領土を武力で奪われた。 フィンランド人も日本人も、ロシアという国が約束を守らないということをよく知っている。 ■本と映画に描かれた冬戦争と継続戦争 では、ここから、フィンランド冬戦争、継続戦争を詳述していくが、その前に、私が参照にした本と映画を紹介しておきたい。まず、本は何冊もあるが、次の3冊を、もっとも参考にした。 ・石野裕子『物語 フィンランドの歴史』(中公新書、2017):フィンランドの歴史に関する本は少ない。そんななかで、もっとも体系的にわかりやすくフィンランドの歴史を綴っている。大国に挟まれた小国が独立を勝ち取り、いかにして現在の先進国となったかが、端的にまとめられている。 ・齋木伸生『冬戦争』(イカロス出版、2014):フィンランド冬戦争の全貌を、フィンランド軍の公刊史料等をもとに詳述した本。戦争経過、両軍の編制、陸海空軍の主要装備、人物の評伝などを織り交ぜ、豊富な写真、地図とともに解説している。 ・梅本弘『流血の夏』(大日本絵画 、1999):日本語で書かれた唯一の継続戦争の戦史書。1944年夏、フィンランドに2度目の奇跡が起こり、ソ連との講和が成立する。フィンランド人の不屈の精神が勝ち取った奇跡で、フィンランドはかろうじて独立を保った。 続いて映画だが、ウクライナ戦争が起こり、フィンランドがNATO加盟を申請したことにより、次の2本のDVDはよく売れているという。 ・『ウィンター・ウォー ~厳寒の攻防戦~』(2006):冬戦争の戦いを戦場の一兵士の視点を通して描いている。ハリウッド作品と違い、淡々と戦争の現実を描き、フィンランドの厳しい冬と戦争の悲惨さを知ることができる。 ・『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』(2017):継続戦争がいかに過酷な戦いだったかが、徹底して描かれている。フィンランド人の5人に1人が見たという、フィンランド映画史上最高の興行収入を記録した作品。 ■「独ソ不可侵条約」とその裏の秘密協定 フィンランドの冬戦争と継続戦争の二つの戦争を理解し、その教訓からウクライナ戦争の行方とロシアという国を知るためには、そこに至る前史が重要だ。すなわち、第二大戦前夜の欧州情勢である。 第二次大戦は1939年9月1日、ドイツがポーランドへ電撃侵攻し、それを受けてイギリスとフランスがドイツに宣戦布告したことから始まった。 この前提となるのが、ドイツのポーランド侵攻の直前に結ばれた「独ソ不可侵条約」である。ファシズム国家の総統ヒトラーと共産主義国家の指導者スターリンが手を結んだのだから、この条約の衝撃は大きかった。 しかし、この条約で重要なのは「秘密議定書」のほうである。その存在は、第二次大戦が終わるまで知られなかったが、このとき、ヒトラーとスターリンはお互いの利益範囲を決めたのである。 すなわち、両国の緩衝地帯とされるフィンランド、バルト3国、ポーランド、ルーマニアなどをどう分け合うかである。 2人が合意したのは、フィンランドとバルト3国、ルーマニアの北部はソ連、それ以外はドイツで、ポーランドは東西に分割するということだった。 したがって、この秘密議定書に沿って、ドイツ軍はポーランドに侵攻したのだった。 ■英仏の見殺しにされたポーランド ポーランドに侵攻したドイツ軍の兵力は185万人。これに対しポーランド軍は95万人で2倍の差、戦車は2800両に対して700両で4倍の差、航空機は2000機対して400機で5倍の差だった。これではポーランドがドイツの侵攻を防ぎきれるわけがない。 ポーランド軍は総崩れとなり、首都ワルシャワはたちまちドイツ軍に包囲された。ウクライナ戦争で、キーウがロシア軍に包囲された状況と同じだ。 しかし、ウクライナはアメリカとNATO諸国の支援を受けて、首都防衛に成功した。しかし、ポーランドはワルシャワを防衛できなかった。このとき英仏は8月25日にポーランドと相互援助条約を結んでいたので、それに基づき9月3日にドイツに対し宣戦布告したものの、なにもしなかったからだ。ただ、黙って戦況を見ていただけだった。つまり、ポーランドは見殺しにされたのである。 この状況を見ていたソ連は、9月17日、東側からポーランドに侵攻した。ソ連とポーランドの間には1932年に結ばれた「ソ連・ポーランド不可侵条約」があったが、ソ連はまたしても条約を破ったのである。 ■ロシアの身勝手な理屈と罪の言い逃れ ロシア人が口にする理屈は、いつも手前勝手である。不可侵条約を破ったソ連のモロトフ外相は、駐ソ連ポーランド大使を呼び出して、宣戦布告を告げた。 このときの理屈は、ドイツに占領されたポーランドの首都ワルシャワはすでに存在しない。これはポーランド政府が消滅したということだから、ソ連との間の条約も消滅しているというものだった。 しかし、ポーランド政府は亡命してフランスを経て英国に入り、ロンドンで活動を続けた。第二次大戦後、ポーランドはソ連の属国になったため、ソ連が1990年に崩壊するまで祖国に復帰できなかった。 ポーランドが悲劇的だったのは、占領後にソ連が100万人を超えるとされるポーランド人をシベリアに送り、強制労働をさせたことだ。また、戦争で捕虜にした約2万2000人のポーランド人兵士、将校、政府の官吏、警察官などをソ連のスモレンスク付近のカティンの森に連れて行き虐殺したことだ。 この「カティンの森の虐殺」事件は、ニュールンベルグ裁判でも取り上げられたが、ソ連は否定し、以後ずっとドイツによる犯行と主張し続けた。ソ連が反抗を認めたのは、冷戦が終結した1990年になってからだった。 ■国境線を移動させろという理不尽な要求 ドイツと秘密協定を結んで、後顧の憂いを絶ったソ連がポーランドの次に狙ったのが、バルト3国とフィンランドである。 1939年10月11日、レニングラード(現在のサントペテルブルグ)の安全を確保するためと称して、ソ連はフィンランドに対して一方的に領土の割譲と交換を要求する。フィンランド国境がレニングラードに近すぎ、砲撃できる距離だから、国境線を後退させろというのだ。 このときのソ連の要求を具体的に述べると、以下のとおりである。 ・フィンランド湾の4つの島の割譲 ・カレリア地峡のフィンランド国境を主要都市のヴィープリの東30キロまで西へ移動 ・カレリア地峡の防衛線(当時のフィンランド軍司令官の名前を取って「マンネルヘイム線」と呼ばれる)の防衛設備の撤去 ・ハンコ半島の30年間の租借および海軍基地の設置と約5000人のソ連軍の駐留許可 ・駐留ソ連軍の交代のためのフィンランド領内の鉄道による通行権の付与 これらの代償として、ソ連は、東カレリア地域でフィンランドと係争となっていた領域を大きく上回る地域をフィンランドへ割譲すると言ってきた。しかし、ソ連が申し出た地域はほとんど価値のないところであり、なによりも、 マンネルハイム線を撤去してしまえば、次の要求に対してはまったく抵抗できなくなる。 そこで、フィンランドは、この理不尽な要求には、応じられないと返答した。 ■得意の「偽旗作戦」で軍事侵攻を開始 フィンランドは必死に外交交渉したが、11月13日に決裂。その間、軍に動員をかけていたものの、まさかソ連が侵攻してくるとは思わず、いったん動員を解除してしまった。しかし、ソ連はその隙を突いてきたのだ。 11月26日、ソ連のモロトフ外相は、駐ソ・フィンランド公使を呼び出し、フィンランド政府に宛てた覚書を手交した。フィンランドとソ連が接するカレリア地峡の国境マイニラでフィンランド軍が発砲しソ連兵が死亡、フィンランド兵がソ連領に侵入したため、厳重に抗議すると主張した。 これは、ロシアが得意とする「偽旗作戦」である。自分がわざと行った行為を相手が行ったと非難する。それを口実に、相手を攻めるのが偽旗作戦で、ロシアはウクライナにおいてもそれを行っている。 フィンランドは、その当時、カレリア地峡の国境地域には発砲できる部隊はいなかったと反論したが、完全に無視された。そうして、4日後の11月30日朝、ソ連軍がカレリア地峡の国境線を越えてフィンランド冬戦争が始まったのである。 *本日はここまでとします。この続きは、明日配信します。 【読者のみなさまへ】本メルマガに対する問い合わせ、ご意見、ご要望は、以下の私のメールアドレスまでお寄せください。 → junpay0801@gmail.com ────────────────────────────────── 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