… … …(記事全文2,470文字)-貨幣観の人類史-
産業革命は、なぜイギリスで始まったのか。
十七世紀のロンドンで、ゴールドスミス(金細工商人)の金貨の預かりサービスを切っ掛けに、現代的な「銀行サービス」が始まったためである。
当たり前だが、誰かの黒字(※純資産の増加、もしくは純負債の減少)は、誰かの赤字(※純資産の減少、もしくは純負債の増加)である。
読者が純資産(資産>負債)になっていたとき、必ず誰かが純負債(※負債>資産、債務超過とも)になっている。
全ての経済主体(家計、企業、政府、外国など)が同時に黒字になる、あるいは純資産を増やすことは地球上では不可能なのだ。
貨幣とは、債務と債権の記録。つまりは「誰かの資産」であると同時に、「誰かの負債」なのだ。
我々が純資産としての貨幣を増やすためには、反対側で誰かに純負債を増やしてもらわなければならない。
貨幣が「譲渡可能な誰かの債務」(保有者の債権)である以上、貨幣には必ず「債務者」がいる。
日本銀行券(現金紙幣)は日銀の債務であり、銀行預金は銀行の債務だ。
貨幣が「債務者の債務=債権者の債権」という貸借関係である以上、物体としての形をとる必要は必ずしもない。
我々が使っている貨幣の総量を見ると、現金紙幣が124兆円。それに対し、銀行預金の合計は1684兆円に達している。
銀行預金は、現金紙幣とは無関係に、銀行が我々に「貸し出す」ことで発行される。
当然ながら、銀行預金(※銀行にとっては負債、我々にとっては資産)の総額は、日銀が発行した現金紙幣の額を凌駕する。
何しろ、銀行は単に貸し出すだけで、銀行預金という貨幣を発行できるのだ。
週刊三橋貴明 ~新世紀のビッグブラザーへ~
三橋貴明(経世論研究所所長)