… … …(記事全文2,168文字)-戦後の「ハイパーインフレ」の真相-
財務省や財政破綻論者は、国債を発行し、日本銀行が国債を買い取る(国債の貨幣化)ことで「ハイパーインフレーション」になる、と主張している。
その際に必ず持ち出されるのが、大東亜戦争敗北後の日本のインフレ率の急騰だ。
つまりは、戦争により需要が高まった際に、政府が国債発行+日銀の国債買取で対応したからこそ、”ハイパーインフレーション”になった。
だからこそ、国債を発行してはならないという、意味不明な理屈なのだが、このレトリックはそもそも事実関係を間違えている。
何しろ、国債発行+日銀国債買取で戦争を遂行していた1945年は、日本のインフレ率はそれほど上昇していなかったのだ。
その後、1946年に確かにインフレ率(※東京の小売物価指数による)は500%を超えた。
ハイパーインフレーション(インフレ率が年率13000%)とは言えないが、高インフレだったのは確かだ。
なぜ、実際に国債発行や日銀国債買取を繰り返していた1945年までではなく、1946年に物価が高騰したのか。
理由は、1946年に様々なインフレ要因が重なったためである。
日米開戦以降の日本のインフレ率を見てみよう。
1941 1.18%
1942 2.91%
1943 6.12%
1944 11.95%
1945 47.00%
1946 513.81%
1947 169.36%
1948 193.39%
1949 62.70%
1950 ▲1.77%
意外なことに、敗戦直前に至っても、インフレ率は47%。一年間で物価が1.5倍になっただけである。
確かに高いわけだが、国家総動員で大戦争を戦っていた割には、むしろ「低い」と表現しても構わないのではないか。
それが、敗戦の「翌年」に約514%へと急騰した。
国債発行と日銀国債買取を繰り返していた1945年までではなく、「その後」インフレ率が高騰したのだ。
なぜなのだろうか。
週刊三橋貴明 ~新世紀のビッグブラザーへ~
三橋貴明(経世論研究所所長)