… … …(記事全文2,588文字)4月21日、ローマ教皇フランシスコが亡くなった。亡くなる前日はイエス・キリストの復活祭のミサにも出席していた。キリストの「復活の日」の翌日の死とは“いかにも”だが、それが暗示するものは何か。
●リベラル教皇逝く
<2025年4月21日 ロイター>
大手メディアはフランシスコ教皇の人柄と業績を称え、葬儀ミサには40万人が集まったという。
<2025年4月26日 BBC>
だが、マザーテレサに深い闇があったように、フランシスコ教皇にも大手メディアが決して報じない裏の顔があった。
●「羊の皮を被った狼」
フランシスコ教皇はアルゼンチン出身で、本名は「ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ」。中南米出身者では初、イエズス会出身者としてもの初の教皇だった。フランシスコ教皇は、保守回帰を目指した前代ベネディクト16世とは打って変わって、キリスト教と他宗教との融和、LGBT擁護、移民排斥反対などのリベラル政策を積極的に推進した。
<2021年3月7日 日本経済新聞>
<2025年4月24日 NHK>
<2024年8月29日 ロイター>
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カトリックの伝統や習慣を次々と打ち破る彼のリベラル(改革)志向は、多くの人々に好意的に受け止められたが、一方で、カトリック教会の保守派からは批判を浴びた。
カトリック内における彼の実績の是非はともかく、筆者が注目するのは、世界の支配層のグローバル組織「世界経済フォーラム(WEF)」との関係だ。
フランシスコ教皇は在位期間中に4回もWEFのダボス会議で演説を行い、自分が出席できないときは枢機卿を代理出席させるなど、バチカンとWEF、フランシスコ教皇とWEF創設者クラウス・シュワブとの親密さを積極的に示してきた。




