… … …(記事全文12,134文字)このところ続々と大ニュースが報道されており、情報収集にてんてこ舞いで筆が遅くなっていることをお詫びします。
さて今回のサブタイトルですが、読者の皆さんは史上最強の軍事帝国アメリカが本質的に変わってしまった4年間というと、どんな時期とお考えになるでしょうか。(なお今回の原稿にはセンシティブな写真も
● 分岐点は1929~32年、1914~17年、1971~74年? いや1946~49年
第一次世界大戦直後の1921年に起きた短かったけれども深刻な不況を脱却してから、急激な株価と地価の上昇を謳歌していたアメリカで、1929年の大恐慌から自動車生産台数が年間400万台レベルから100万台レベルまで落ちこんでやっと底を打った1932年までが分岐点だったのでしょうか。
1913年12月に法案は通過したけれども、発足したのは1914年だったアメリカの中央銀行、連邦準備制度の誕生から反戦大統領として2期目の選挙戦を勝ち抜いたウッドロー・ウィルソン大統領が対独宣戦布告に踏み切る1917年まででしょうか。
ニクソン大統領が、藪から棒に「米ドルの金兌換停止」を発表した1971年から、ニクソン訪中、原油価格急騰、そして国連がPLOを正当なパレスチナの代表と認めた1974年まででしょうか。
それぞれに有力な根拠のある議論ですが、私の考えは違います。アメリカを常時臨戦体制の「永続戦争国家」に変えてしまったのは、民生部門がほぼ無傷で残った唯一の先進国として復興特需で繁栄が期待されていた1946~49年のことだったと思います。
まず、第一次世界大戦中から第二次世界大戦直後までの中東、とりわけパレスチナをめぐる国際情勢をまとめたかんたんな表をご覧ください。
オーストリア=ハンガリー帝国によるセルビアに対する宣戦布告で第一次世界大戦が勃発すると、英仏伊露を中心とする協商国側諸国は、大半がオスマントルコ帝国の領土内だった中東で、トルコからの独立を目指す勢力の支援に躍起になります。
その一例が、イギリスによる悪名高い三枚舌外交でした。アラブ人にはパレスチナの独立を認め、フランス・ロシアとは旧オスマントルコ領の分割を密約していました。
おまけに世界最大級の金融資本家一族の当主であると同時に、シオニスト運動の指導者でもあったウォルター・ロスチャイルド卿には「ユダヤ人の民族的郷土」の設立を支援するとも外務大臣の書簡で約束していたのです。
増田悦佐の世界情勢を読む
増田悦佐(エコノミスト・文明評論家)