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山田順の「週刊:未来地図」
No.782 2025/07/01
私たち日本人は何者なのか?どこから来たのか?
最新の研究で判明した古代史ストーリー
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私たち日本人は、どこら来てどこへ行くのか? 歳のせいか、そういうことを考えることが多くなり、最近は、古代史に関心がいっている。いまの世界情勢が、戦乱、移民排斥、分断の渦中にあり、民族や国家のアイデンティが問われていることも大きく影響している。
私たちはいった何者なのか? それをはっきりと知りたいのである。
最新のDNA解析などにより、新しい説も登場し、学生の頃に習った歴史は塗り替えられつつある。しかし、それでもまだわからないことが多いが、いちおう、一つのストーリーを描いてみた。
[目次] ─────────────────────
■日本の古代史は連続した物語になっていない
■やはり奈良盆地が「ふるさと」。慶州とそっくり
■古墳時代の渡来人が加わった「3重構造モデル」
■DNA解析により進化人類学は新段階に
■祖先は「縄文系」「関西系」「東北系」の3系統
■弥生時代から東アジアからの大量移住があった
■「出アフリカ」で広がった現生人類が日本に到達
■地続きだった大陸から祖先たちはやって来た
■日本人の遺伝子の90%が弥生時代以降のもの
■纒向遺跡が邪馬台国の首都と考えるのが妥当
■ヤマト王権と百済は同じ国ではないのか
■天皇家のルーツは「渡来人」(「古墳人」)
■考古学的な調査・発掘を許可しない宮内庁
■「グローバル化」と「混血」こそが人類史
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■日本の古代史は連続した物語になっていない
邪馬台国はどこにあったのか? 畿内なのか? 北九州なのか? そしてなぜ、その存在が中国の書誌『魏志倭人伝』にあるだけで、日本の最古の歴史書『日本書紀』には1行も書かれていないのか?
私たちは大陸からやって来た渡来人の子孫なのか? それとも、縄文人、弥生人の混血による日本人の子孫なのか?
このような古代史の謎は、いずれ明らかになる。私が死ぬまでにはわかるだろうと思ってきたが、最新の研究を見てもまだはっきりしない。DNA解析が進んで、どうやらいまの私たち日本人が、どのように形成されたかはわかってきた。
しかし、いまだに日本の古代史が、一つの連続したストーリーとして頭の中に描けない。ただ、それでもなんとかストーリーにしようと、以下、最新情報に想像力を加味して組み立ててみた。
■やはり奈良盆地が「ふるさと」。慶州とそっくり
これまで私は、全国各地で、気の赴くまま古代の遺跡、古墳を見てきた。そして思うのは、やはり、奈良盆地が、私たちの「ふるさと」ではないのかということ。大和古墳群、纏向古墳群、馬見古墳群などを見ながら、「山の辺の道」を歩くと、ここで暮らした祖先の姿が想像できる。
もう一つ、宮崎県のほぼ中央、西都市にある西都原古墳群でも、同じような思いにかられた。平坦な丘の上に多くの古墳があり、最大のものは「男狭穂塚」「女狭穂塚」の前方後円墳。この地は、高天原から天下った天孫ニニギノミコトが、コノハナノサクヤヒメと出会って結婚した地とされる。
さらにもう一つ、韓国の慶州(かつての新羅の都)に行ったときのことが忘れられない。私は友人たちと一緒に古墳巡りをしたが、その際、日本からきた母親と女子大生の2人組とたまたま一緒になった。
そのとき、女子大生がこう言った。
「なんだ、お母さん、うちと同じやわ」
その言葉を聞いて、「どこからいらしたのですか?」と聞くと、「はい、奈良からです。ここは、奈良にそっくりです」と母親。たしかにそのとおりだと思った。
■古墳時代の渡来人が加わった「3重構造モデル」
ではまず、「日本人のルーツ」を「AI」(Search Labs)に聞いてみると、次のような答えが返ってきた。
《日本人のルーツは、縄文人と大陸からの渡来人(弥生人)の混血によって形成されたという「2重構造モデル」が有力です。最新の研究では、縄文人、東アジア系、北東アジア系の3つの系統が混血した「3重構造モデル」を支持する結果も出ています。また、アイヌ民族と琉球民族は遺伝的に近縁であり、本土人はその中間に位置することもわかっています。》
ついこの前まで、私たち日本人は古くから日本列島に定住した縄文人と、弥生時代に日本にやってきた弥生人の混血であると思ってきた。そう学校で習ったからである。
しかし、この「2重構造モデル」より、最新の研究によって明らかになった「3重構造モデル」が有力視されるようになった。
それは、縄文時代にやって来て定住した東南アジア人(縄文人)、弥生時代にやって来た北東アジア人(弥生人)が混血した後、さらに古墳時代(250~550年ごろ)から日本やって来た極東アジア人(古墳人、渡来人:新モンゴロイド)が混血して、現在の日本人の主流になったという説で、「3段階渡来説」とも呼ばれている。
これまでの日本史でいうところの「渡来人」は、4世紀から7世紀にかけて中国や朝鮮半島から日本に移住してきた人々を指していた。有名なのは、「弓月君」(ゆづきのきみ)と秦氏 (はたうじ)だが、それ以前から渡来人が数多くやってきて混血したことになる。