━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 山田順のメールマガジン「週刊:未来地図」 No.041 2013/06/18 よみがえる「1965年国債発行論争」。巨額債務の原点とは? ウェブで読む:http://foomii.com/00065/2013061809000016031 EPUBダウンロード:http://foomii.com/00065-16705.epub ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ いくらアベノミクスをやっても日本が成長できないのは、巨額な債務(償還できない国債)があるからです。なぜ、日本はここまで借金を積み上げたのでしょうか? 今回は、これまでどこのメディアも取り上げていない、その原点を紹介します。国会図書館に眠る資料から1965年の参議院予算員会の議事録を発掘コピーしてきました。 この議事録を読むと、赤字国債の発行がいかに危険なものかよくわかると思います。当時の政治家はそのことをわかっていたのです。 [目次]────────────────────────────────── ■東京オリンピック後の反動不況対策 ■現在の日本へ警告に満ちた質疑応答 ■歴史の教訓に学ぼうとしない日本人 ■2590億円の歳入欠陥を補てんする「赤字国債」 ■たった1行の表による償還計画 ■「財政法第4条」で禁止されている赤字国債 ■福田蔵相が述べた財政政策を転換した理由 ■演説で約束されたことはみな破られた ■発行に歯止めをかけようとした木村議員の主張 ■高橋是清の公債発行政策を踏襲 ■特別措置法案(特措法)は必ず破られる ■一般人も国債利回り(長期金利)を気にする時代 ■金利1%で利子払いが1.5兆円ずつ増加 ────────────────────────────────────── ■東京オリンピック後の反動不況対策 1965年といえば、東京オリンピックの翌年。じつは、この年まで、日本の財政は健全だった。税収で歳出をまかなっていたからだ。つまり、赤字国債は発行されていなかった。 ところが、オリンピック後に来た反動不況で、税収が足りなくなくなり、国債を一時的に発行することになってしまったのである。これは、憲法にも財政法にも違反しているのだが、「特別措置法案」(特措法)という事実上のでっち上げで決まってしまったのだ。 当時の首相は佐藤栄作。佐藤首相は、当初、1968年度までは国債を発行しないと言明していた。しかし、予算立案に入ったところで、一転して国債発行を認めてしまった。 というのは、不況が続くことを予想以上に恐れたからだと思われる。実際、この年の3月には、山陽特殊鋼が、当時、戦後最大とされた500億円の負債を残して倒産。5月には、山一證券が事実上の倒産ともいえる再建計画を発表していたからだ。 ■現在の日本へ警告に満ちた質疑応答 国債発行は、財政政策の一環として、1930年代の世界恐慌時に各国が取った手段である。だから、不況対策として金融政策が効かなくなった場合、取るべき1つのオプションと言える。 しかし、日本では戦後のハイパーインフレと預金封鎖の教訓から、歳入の範囲で歳出をまかなうという「財政均衡主義」が取られてきた。もちろん、アメリカからの厳しい要求があったからでもあるが、財政法で、赤字を穴埋めするための国債発行は禁止された。 しかし、この禁を政府は率先して破ったのである。当時の大蔵大臣(現・財務大臣)は福田赳夫。この福田赳夫に、国債発行をめぐって論戦を挑み、政府を批判したのが社会党の木村禧八郎議員だった。木村議員は、1965年(昭和40年)12月25日の参議院予算委員会で質問に立って、福田大臣を追及した。 このときの「木村―福田」質疑は、いま振り返ると、現在の日本へ警告に満ちている。そこで、今回はこれを紹介しながら、アベノミクスの成否のカギを握る「日本国債」についての理解を深めていただきたい。 ■歴史の教訓に学ぼうとしない日本人 いまとなっては、1965年当時のことを言う人間はほとんどいなくなった。禁じられた赤字国債がなぜ発行されたのか?を問題にする人間もいなくなった。なにしろ、半世紀も前の出来事なので、政治家も官僚も、そしてメディアも忘れてしまっている。 都合の悪いことは忘れてしまう。これは、日本人の一種の特性なのだろうか? 楽天的といえばそれまでだが、この特性によって、私たち日本人がほとんど歴史の教訓に学ぼうとしないのは問題ではなかと思う。 その結果、政治はいつも場当たり主義になり、深く考えられたとは思えないアベノミクスのような政策が出てきてしまった。… … …(記事全文9,504文字)