… … …(記事全文5,123文字)※9月18日(木)配信「生まれ変わりはあるか(1)」の続きを配信いたします。
日本における生まれ変わりの事例をもうひとつ紹介したい。テレビでも放映されて大きな反響を呼んだ事例だ。
(4)2つの前世を語る日本人女性
<理沙さん(仮名)(1958~)>
2005年、岐阜県在住の主婦・理沙さん(仮名)は、脊椎側弯症による身体的・精神的苦痛を抱えていた。そんな時、理沙さんは、子供が通う公立中学校の教員、稲垣勝巳氏の催眠療法を耳にする。催眠療法とは催眠状態を利用して心身の問題(不安、恐怖症、トラウマなど)を改善する療法で、医療、カウンセリング、教育現場などで広く活用される心理療法の一つだ。稲垣氏は長年、生徒の乗り物酔い、偏食、集中不足などの問題解決に催眠療法を用いていた。
理沙さんは校長を通じて稲垣氏に催眠療法を依頼し、稲垣氏はSAM前世療法を試みることにした。SAM催眠療法とは稲垣氏が開発した独自の退行催眠療法で、現世の心身の問題が前世のトラウマや経験に起因すると仮定し、前世記憶を呼び起こして問題の根本原因を探り、癒しや気づきを促す療法だ。理沙さんのSAM催眠療法の場には、稲垣氏の同僚教員や医師も同席した。上はその時の写真である。
理沙さんはSAM前世療法で深い催眠状態に入ると驚くべき内容を語り始めた。自分は江戸時代の安永・天明期に上州上野国(こうずけのくに)渋川村に生きた少女「タエ」で、桑畑で葉を摘む様子や天明の大飢饉など、当時の様子をありありと語り始めたのだ。
<前世(タエ)を語り始めた理沙さん>
そして孤児だった自分(タエ)は、天明3年(1783年)7月の七夕の日に龍神様と雷神様へ供物(人柱)として捧げられ、吾妻川の橋の近くで泥流に飲み込まれて亡くなったという。
あまりにリアルな内容に驚いた稲垣氏は、理沙さん(タエ)の語りに基づいて調べてみると、上州上野国渋川村は現在の群馬県渋川市であること、吾妻川は今もあること、天明3年4月に浅間山が大噴火して火砕流が発生して我妻川をせき止め、旧暦7月7日から翌日にかけて決壊して我妻川沿いの村を土石流が襲い死者1,151名という大災害「浅間焼泥押」が起きたことが判明した。
<天明3年(1783年)7月「浅間焼泥押」>
さらに渋川市図書館に保存されている当時の被害報告書「浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳」を確認すると、渋川村で流された人は一人だけだったことも分かった。
<渋川村の唯一の犠牲者が「タエ」?>
テレビ番組のスタッフが取材した我妻川の映像を理沙さんに見せたところ、理沙さんはある個所で意識が遠のいた。
スタッフによると、理沙さんの意識が遠のいた映像箇所は、当時橋が架かっていた場所だという。
この事例は2006年にフジテレビの番組「アンビリバボー」で特集され、生まれ変わりが存在する可能性を広く知らしめることとなった。
<2006年10月12日 フジテレビ「アンビリバボー 前世スペシャル」>
https://youtu.be/LpZd0jnPdfk?si=sr5iqMZjGrUYA3BM
番組は理沙さんの前世「タエ」の悲劇を紹介して終わったが、実は理沙さんのSAM前世療法には続きがあった。
理沙さんは「タエ」の人生を詳細に語った後、さらに過去の人生としてネパールに住む男性「ラタラジュー」の人生も語り始めたのだ。しかも驚くべきことに理沙さんは日本語ではない言葉(後に古ネパール語と判明)を時折発したのだ。








