… … …(記事全文3,623文字)8月15日に日本は80回目の終戦の日を迎えた。今年は戦後80年という節目の年であり、大手メディアはいつも以上に戦争の悲惨さと反省と平和への祈りを語った。そのこと自体を批判するつもりはない。
だが、毎年筆者が感じるのは、戦争は自然災害のような「起きる」ものはなく戦争を望む勢力が意図的に「起こした」ものであること、そして、それを止められなかった大多数の一般市民の責任が語られないことに対するもどかしさだ。
●戦争は純然たる人為現象
<2025年8月15日 日本経済新聞>
戦争と言えば「国」対「国」をイメージする。だが、「国」という物理的なものは存在していない。戦争をやると決めるのは国を運営する政治組織「国家」であり、中枢には政府がある。その政府も、突き詰めれば一人一人の人間で構成されている。国民に無慈悲な国家の役人も家に帰れば一人の人間だ。
我々一般市民の感覚では想像もつかないが、戦争を望む勢力は確実に存在する。軍需産業やその傀儡の政治家やロビイストがそうであり、さらにその奥には国際銀行や大財閥がいる。だが、彼らも家に帰ればただの人間だ。
一般市民も役人も戦争を望む勢力に属する人間も、一人の人間として全く同じ存在だ。誰もが衣食住が満たされ、家族や仲間と平和に過ごしたいと思っているはずだ。自分自身が戦渦に巻き込まれるのを望んでいる人は一人もいないだろう。
だが、好戦的なサイコパスが組織の上位にいたり(組織の上位にサイコパスが多いのは厳然たる事実)、戦争が組織の利益であれば、個人的な本心は違ってもそれを是認し、是認した自分を正当化する。政治家や役人も、戦争を望む勢力の圧力に屈し、彼らもまた自らを正当化する。
<ブライアン・クラース「なぜ悪人が上に立つのか」>
戦争を望む少数のサイコパスな権力者の意思が組織全体に行き渡って歯止めの利かない巨大な意思と化し、かくして国家(政府)と戦争を望む勢力が結託して戦争を起こす。そこには偶然性や自然現象は微塵もない。人間の意思が生み出した純然たる人為現象だ。人間が本質的に持つエゴイズムや保身や権力に阿る心理の蓄積が、大多数の人間が望まない戦争を引き起こしているのだ。
●国民は一方的な被害者ではない
5百年前のフランス人文学者ラ・ボエシは、「圧政は支配者のおこぼれに与るとりまき連中が支え、民衆の自発的な隷従によって完成する」という支配・被支配の本質を「自発的隷従論」に綴った。
<ラ・ボエシ「自発的隷従論」>
「自発的隷従論」の鋭いところは、圧政に加担した人間だけでなく、主に被害を被る一般市民にも自発的隷従の心が存在し、それなしに圧政は存在しないことを見抜いた点にある。
これは戦争についても全く同じことが言える。





