… … …(記事全文6,166文字)※8月14日(木)配信分を、本日8月12日に先行配信します。
下の写真は、週刊誌やテレビでも度々取り上げられた、1990年に遺族が公表したものである。123便に乗っていた乗客が機内から撮影したもので、黒い飛行物体が写っている。
●日本ではない「横田空域」
青山透子氏は著書「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」で、この写真を専門家に解析してもらった結果「写真では黒く見えるが元はオレンジ色の可能性がある」と書いている。しかし、筆者には、周りの景色の色を見る限り、普通に黒い物体だったのではないかと思える。
それよりも重要なのは、写真が撮られた「場所」と「高度」と「方向」である。かなり低くないだろうか?日航機墜落の真相を追求しているサイトが、景色から撮影場所の高度と飛行機の向きを分析したところ「伊豆半島下田東岸にある天領山の上空をほぼ真東に向かって飛行している時に撮影したものと推測される。その高度はおよそ 700m」と結論付けている。
下の写真は下田の尾ヶ崎ウイングという展望所から撮影されたものである。潮の干満と高度の違いにより細かな点は異なるが、機内で撮影された写真と酷似しており、同サイトの推測通り、「機内撮影」した場所は尾ヶ崎ウイングの上空700mあたりだった可能性が高い。
また、池田昌昭著「JAL123便 墜落事故真相解明」によると、伊豆半島上空を超低空飛行する123便を見たという証言が複数あるという。
<池田昌昭著「JAL123便 墜落事故真相解明」より>
一方、事故調査委員会は「123便は伊豆半島下田、白浜海岸の上空 7000mを西に向かって飛行した」と結論付けている。この結論は上記分析結果や証言とは大きくかけ離れている。
<事故調査委員会報告書に基づいた飛行ルート。下田上空7000m以上を飛んでいることになっている。また報告書では飛行機は西に向かっており、遺族が公開した写真と辻褄が合わない>
下の写真は上空7千メートルから撮影されたものだ。7千メートルからは富士山が見下ろせる。
以上のことから、次のことが推察される。
もし、7000m上空ではなく、はるかに低い空域を飛んでいたとしたら、123便はとんでもない場所を飛行していたことになる。
下田の低空域は「在日米軍の超低空飛行訓練空海域」であり、御巣鷹山に墜落するまでの空域は全て「横田空域」なのである。
つまり、
ことになるのである。
<下田半島は米軍の超低空飛行訓練空海域>
<横田空域は「日本」ではない>
戦後、日本の民間航空機はこの「横田空域」を避けて飛んでいる。










