… … …(記事全文15,933文字)2月末に刊行した「本邦開闢以来の女性宰相で自民党総選挙に圧勝 【前篇 リフレ派亡霊軍団総決起】」の続編は、同じメインタイトルで【後篇 シングルマザー所得3倍増計画】として3月の1本目に執筆する予定でおりました。
しかし、2月28日、イラン時間早朝に起きた最高指導者ハメネイ師の暗殺をはじめとするイラン各地の大都市に対するアメリカ・イスラエル連合軍による空爆以来、世界情勢は一変しました。
そこで、3月の初回は『勝利宣言』をメインタイトルに、前篇では軍事・外交面でアメリカの自然寿命が尽きたことを詳細に解説し、2回目はアメリカ金融市場もまた、ちょうど同じ頃自然寿命が尽きたことを指摘する文章をお届けしました。
そのときは今月の1本目として「本邦開闢以来の女性宰相で自民党総選挙に圧勝 【後篇 シングルマザー所得3倍増計画】」を執筆する予定でした。
しかし、仕事をしている日本女性全体にとって、雇用条件、賃金給与、就労環境のあらゆる面であまりにも男性に対して不利な立場に立たされていることが分かってきました。
そこで、今月の1本目は中篇としてシングルマザー問題を中心に働く女性の置かれた現況に焦点を絞った論考をおこないます。
そして、2本目は日本女性たちがもっと男性と対等に近い立場で仕事をできれば、現在日本経済が抱えている経済問題の多くに明るい解決の展望が開けてくると指摘する文章にまとめようと思います。
● 日本の女性たちは職場でどのくらい不利な立場に置かれているのか
まず、図表1をご覧ください。
OECD加盟諸国間で労働力参加率と、賃金について男女間でどのくらい差があるかを示しています。
左側の労働力参加率を見ると、日本はOECD加盟国の中で男女間の差が平均よりやや低い程度になっています。
ただ、これは最下位の国が男女間の差が約37パーセンテージポイントと凄まじく大きいため平均値を大きく引き下げているからこうなっているのです。加盟諸国の中の順位で言うと、労働力参加率格差が大きいほうから4番目か5番目とあまり自慢できない成績となっています。
右側の賃金格差に移ると、これはもうあまり自慢できないどころではなく、とんでもない事態になっていることが分かります。男女間の賃金格差が30%近い最下位国に次いで2番目に格差が大きな国となっているのです。
それだけではありません。この格差はあくまでも正規・常時雇用の(官公庁自治体)職員と(企業)従業員の比較から算出したものです。
これから徐々に検討していきますが、非正規・不定時の勤労者まで含めると、日本とその他OECD加盟諸国との格差はもっと広がるのです。
次に、比較的「軽傷」で済んだ労働力参加率についても、たとえばアメリカのように先進諸国の中で比較的男女均等に近い正規雇用者比率になっている国と日本では、労働力参加率自体にもかなり大きな差が出ていることを確認しましょう。
図表2では、まず日本の労働力参加率を示す左軸と、アメリカの労働力参加率を示す右軸では刻まれたパーセンテージの数値が10ポイント日本のほうが低くなっていることにご注目ください。
つまり、このグラフで日本とアメリカの曲線が同じ高さにあったら、日本のほうが労働力参加率は10パーセンテージポイント低いのです。
具体的には、このグラフの起点となっている1980年には日本が約12パーセンテージポイント低かったのが、アメリカがハイテクバブルで沸いていた1999~2000年には13.5パーセンテージポイントの差に広がりました。
そして、終点の2016年には約9パーセンテージポイントに差を詰めたけれども、まだかなり差が残っているわけです。
6人制バレーで言えば、アメリカは常に6人の選手で戦っているのに、日本は6人のうち1人が永久退場のまま戦っているようなものだと言えるでしょう。
しかも、これはあくまでも働いているか、現在失業中だけれども職探しをしている人という基準で算出されている労働力参加率の数字です。
そして、日本では非正規不定時のまま短時間労働しかさせず、勤労者としてのポテンシャルを十分発揮できないままにしている女性たちが非常に多いのです。
少なくともこの先10~20年は労働力年齢に属する人たちの人数がじりじり減っていくことが分かっている国としてはずいぶん贅沢に、女性たちの労働力を未稼働・低稼働状態に放置しているものだと、お思いになりませんか。
もちろん、私は「自分は専業主婦としての役割を果たすことが重要だと思っている」という女性まで狩り出して仕事をさせろといった無理な要求をしたいわけではありません。
ただ、家庭を持ってからも、妻や母としての役割だけでなく、職業人として充実した人生を送りたいと思っている女性や、さまざまな事情でシングルマザーとなった女性が「もっと働きたい」「もっと賃金給与を増やしたい」と思っても、その願いが叶えられないような社会的慣習や制度が多すぎると指摘したいのです。


