━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 山田順の「週刊:未来地図」 No.017 2013/01/01 20年後私たちはどんな暮らしをしているのか? 少子高齢化社会の現実 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 明けましておめでとうございます。2013年がやってきました。 元旦の新聞には、今年も「明るい未来」があふれていますが、当メルマガは、日本の本当の未来の姿を伝えます。20年後、私たちの暮らしはどうなっているのか? すでに、20年後のニッポンは、私たちの周りに、もう存在しているのです。それをリポートします。 [目次] ─────────────────────────────────―― ■「都心の限界集落」という都営戸山ハイツアパート ■団地の1階の商店は半数以上がシャッターを閉じたまま ■1970年代になって高層住宅に立て替えられる ■年齢別人口でもっとも多いのが70歳代の高齢者 ■都会の「限界集落」では孤立化が地方より厳しい ■エレベーターがなくて階段だけなので買い物がきつい ■ベッドタウンはいまや寝たきり老人の本当のベッドタウン ■『サザエさん』一家のような大家族があるだろうか? ■いまや日本の世帯でもっとも多いのは「1人の世帯」 ■子供の姿がない街で、一人で宅配弁当を食べる ───────────────────────────────────――― ■「都心の限界集落」という都営戸山ハイツアパート 東京都新宿区にある都営戸山ハイツアパート。ここは、山手線新大久保駅に近い新宿区戸山2丁目、近所には学習院女子大がある都心の高層団地だが、住民の半数は65歳以上の高齢者。そのため、「都心の限界集落」と呼ばれ、「20年後の東京はこうなっているだろう」という声が聞こえてくるスポットだ。 実際、『あなたの知らないアンダーグランド・トーキョー・ガイド 東京DEEP案内』 (http://tokyodeep.info/)というサイトでは、写真入りで紹介されており、こう書かれている。 《巨大な老人ホームと化した団地の公園に置かれた遊具はことごとく遊ぶ子供の姿もない。かつては子供の声が団地内に絶えず響いていたに違いないが、成人するとみな出ていってしまう。地区内の東戸山小学校も生徒数激減で1学年2クラスを維持するのも難しいらしい。》 じつは、私は、一昨年と今年、何回かこの団地に足を運んだ。そうして、団地内にある公園で煙草を吸って、ひとときを過ごした。 ■団地の1階の商店は半数以上がシャッターを閉じたまま なぜ、私がそこに行ったかというと、家内がガンの手術のため東京女子医大に入院していたからだ。それで、ときおり病院を出て近所を歩き、あるとき偶然にこの団地に行き着いた。それで、都心部にしては緑が多い団地内の公園が気にいって、何度か足を運ぶようになったのだ。 最初はここが、「都心の限界集落」とは知らなかった。ただ、団地にしてはずぶんさみしいところだな、それにしても人が少ないな、と思ったにすぎない。公園のベンチにいるのは、お年寄りばかり。ときおり、団地から出てくる人もお年寄りばかりだったからだ。 それに、団地の1階は商店街なのだが、半数以上がシャッターを閉じていた。 団地やマンションの住民が高齢化しているのは、いまや日本全国で見られる現象で、けっして珍しいことではない。私は、いま、横浜市内にある1990年に建ったマンションに住んでいるが、当時入居した人はほとんどが60代を越え、理事会は老人会になってしまっている。 ■1970年代になって高層住宅に立て替えられる 都営戸山ハイツアパートは、戦後の住宅難の時代に、東京都が建てた「都営住宅」である。もちろん、当初は木造住宅だった。陸軍戸山学校跡地に、戦災者及び引揚者を住ませるために計画され、完成したのは1949年のこと。 それが、1970年代に、鉄筋コンクリートの高層住宅に立て替えられて、現在にいたっている。 戸山ハイツが立て替えられた1970年といえば、日本中が、大阪で行われた万博で沸いていた。経済は高度成長の真っただ中で、私たちの暮らしのなかに、「3C」と呼ばれた、カー(クルマ)、カラーテレビ、クーラーが急速に普及していた。 あの当時、日本は若い国だった。地方から都市にやってきた人々のために、住宅、マンションがどんどん建てられ、郊外にはニュータウンが造られた。土地の値段も住宅の値段も上がったが、給料も上がった。サラリーマンがマイホームを持つ。それが、当たり前の時代だった。 戸山ハイツの住民も、こうしたサラリーマンが多かったはずだ。それが、いまやみな高齢になり、団地全体が、巨大な老人ホームとなってしまった。 ■年齢別人口でもっとも多いのが70歳代の高齢者… … …(記事全文6,175文字)