Foomii(フーミー)

ビジネス知識源プレミアム:1ヶ月ビジネス書5冊を超える情報価値をe-Mailで

吉田繁治 (経営コンサルタント )

吉田繁治

ビジネス知識源プレミアム:正刊:追悼 小澤征爾
無料記事


<1ヶ月にビジネス書5冊を超える知識価値をe-Mailで>
ビジネス知識源プレミアム(660円/月:税込)Vol.1410

 <Vol.1410号:正刊:追悼:小澤征爾>

2024年2月21日:小澤征爾の音楽、特別号


ホームページ https://www.cool-knowledge.com
購読管理 https://foomii.com/mypage/

著者へのメール    yoshida@cool-knowledge.com
著者:Systems Research Ltd. Consultant吉田繁治



小澤征爾氏が亡くなりました。最近、大切な人が亡くなることが多い。時代の転換か。約1週間、YoutubeとTIDAL(音楽ストリーミング)で小澤の指揮を聞き、楽譜の解釈を身振りの言語で伝える練習風景をたくさん見ました。

あなたの、これからの人生をクラシック音楽で豊かにするために書きます。クラシック音楽を知らないことは、比較は変ですが、人生にとって株の損より大きい価値の損という感じもしてきたのです。クラシック愛好を増やすことは、小澤の情熱的な望みでもあったのです。

当方は高校生のとき、FM放送で目覚めた。その後、レコード、CD、今はTIDAL。本稿はテーマの性格から有料版の正刊を無料版としても送ります。
           *
私は小澤の熱心な聞き手ではなかった。近年はバッハ、ショパン、シューベルト、ラフマニノフのピアノ曲や協奏曲に偏っていた。演奏家で優劣の順位をつけることはできない。この1年、聞く回数では、1)エレーヌ・グリモー、2)グレン・グールド、3)リヒテル、4)グレン・グールドの知性を情熱的に、情緒的にした感じを受けるイヴォ・ポゴレリッチ、5)鋭利なサムソン・フランソワ、6)大家然のホロビッツ、あとは様々、10人くらいの演奏家か。
1年くらいで回転するのか、変化する。

否定と肯定の論争を巻き起こし、日本では余り聞かれないポゴレリッチは、ショパンコンクール(ピアニストの登龍門の最高峰)で選外になり、投票結果に憤慨したアルゲリッチが審査員を辞任したという。グールドのように「型(=演奏の慣習)破り」であり大家になっても異端を残していたアルゲリッチの気風にぴったりだったのか。小澤もアルゲリッチに親しみを感じている。ポゴレリッチはリヒテルも高く評価した。

弦楽曲ではヴァイオリンやチェロ。そしてジャズ、ジャズ・ボーカル、バルバラ、ミレーユ・マチウ、ララ・ファビアンのシャンソン、カナダのダイアナ・クラールのポピュラーなど・・・多種・多数でいちいち挙げれば1ページか。音響装置をいじると好きな音楽の傾向が変わる。音楽が装置に合うか、合わないかは、確かにある。これもまた亡くなった八代亜紀は、この装置で聞くと巫女のように鬼気迫る姿が現れる。

20年くらい前までよく聞いていたべートーヴェン、モーツアルトの交響曲、協奏曲、ピアノ・ソナタは、リヒテルやグレン・グールドの演奏であっても聴く時間が短くなった。なぜか分からない。バッハに偏ったからか。ベートーヴェンは、フォルテシモがどこトーヴェン抜ける悪魔的な指揮のフルトヴェングラーで聴くことが多い。
            *
小澤征爾は、何を成し遂げたのか。まず、西洋音楽の伝統がない日本での、「近代化」での到達と超越、音楽でしか伝わらないコミュニケーションの重視、そして何より情熱。西洋音楽の日本での近代化を超え、名指揮者の楽譜解釈と指導を超えたと思える。

中学のころバッハの大家豊増昇に習い、ピアニストを志していた。その前は、音痴だったという母の「さくら」から賛美歌を習い、自分も歌って、指揮をしていた。合唱は学校の裏で何年も続いた。豊増昇が家庭教師だったことが普通ではない。日本のピアノの第一人者です。

母のさくらは、野の小さな花を見つけ、立ち止まって「美しいね」と摘んで生ける感性の豊かな人だった。「花ってきれいなのか」と母から学んだという。小澤征爾という個性では、幼少の記憶が現在と関連付けられる。人間には皆、個性がある。普通であろうとすることが却って個性を作る。

モノの形のない形而上学的な「美」というものの定義と説明は、難しい。哲学科に美学科があるくらいだから、難しい。しかし、具体物の美しい花なら、誰にもわかる。ピアノの演奏は難しい。美しいピアノ演奏ならだれにもわかる。小林秀雄は言った。花の美はない、美しい花がある。美を切りはなせば、抽象(モノの形を消すこと)の形而上学になる。

小説は、状況のなかでの人の行動を表現する。絵画は、自然やモノや人を表現する。音楽が表現するものは何か。詩歌的な情緒でしょうか。多くの人がカラオケで歌うのはなぜか? 自分の感じを仲間に表現するのが人の自然だからか。人間の社会では、言語の発生とともに音楽があったように思える。

父の改作は歯科医だった。満州から日本に帰ると「歯医者のやりかたを忘れた」と言って、ミシンの販売の仕事をした。一家は貧しく母が裁縫の内職をしてピアノの月謝を払っていた。戦後は食べるものがない時代だった。皆が貧しかった。(注)ミシンで失敗して、あとで歯科医を再開し、生活は豊かになったという。

父は大切していたカメラ(当時は高額)を売って知人からピアノを買った。小田原の自宅まで100Kmの道のりを、兄たちとピアノを載せたリヤカーを引き家に運んだ。崖から落ちそうになった。最後は父が加わった。200Kgのピアノを縁側から畳にのせて弾いたとき、「わあ、きれいな音」。きれいと感じることの、誰よりも強い感激が小澤の音楽の原点だった。行動に結びつく、感動と感激が個人の未来を作る。

毎月の授業料を滞納して名前が貼り出されていた成城中学のとき、夢中でやっていたラグビーで転んで体を踏まれて怪我をし、指が曲がってピアノを弾けなくなった。このときの小澤が面白い。まるで屋根から飛び降りて腰を抜かした『坊ちゃん』、あるいは、そのナイフ切れないだろうと言われ自分の指を切ってみせた『坊ちゃん』(漱石)。この人物には「悲観」がない。いつも楽観、常に、起こったことを肯定する。

母は内職で豊増昇のレッスン料を払い、ピアニストになるものと思っていた。「柱にぶつかって怪我をした」。柱にぶつかって体中に怪我をすることはない。ラグビーをやめたくなかった。野球でもエースのピッチャーでありスポーツ万能だった。これが指揮のときの、ダイナミックな身体の動きから見える。

後日、述懐している。音楽の情熱を観客に伝えるとき、脱力して振るには脚力と腕の力がいるという。カラヤンとバースタインから習ったときも同じことを言っていた。最後に、ギリギリを超えるのは「脱力できるための体力」。音楽には、深い底も、高い頂点もないと小澤は言う。限界よりもっと高く、もっと深い。

小澤の体力はラグビーで培われたという。「脱力ができる筋力」。ピアノも同じらしい。確かに、ピアノの全体を、英国タンノイのオートグラフの大音響のように、誰よりも響かせることができるリヒテルと、名チェロ奏者ロストロボービッチはプロレスラーの体躯です。名ピアニストだったラフマニノフは、身長が198cm、ピアノを弾く手が12度(28.8cm:ドから1オクターブ上のラ)に届くという異常な大きさで、指が長かった。普通は9度だから1.33倍。

松山がソニーオープン以来2年ぶりに勝ったゴルフでも、飛ばすには背骨を固定軸にした胴の回転速度と、腕の脱力が必要です。腕の速度に必要な、体幹の軸の固定には脚力、腿とお尻の力、背筋力が必要です。

井上尚弥の破格のパンチ力も、当てる瞬間の体幹(背骨の軸)の固定から来ている。軸がふらふらしていると、回転の速さからエネルギーが出るパンチ力は上がらない。地面に置いた重いタイヤを引っ張って、重量挙げと違う動的な脚力を強化していた。

水準を超える人は、共通して、10才以下からあらゆる体験を、選択した領域の将来の技術につないでいる。小学校低学年からの感激した体験を活かすとみな天才になるのか。

私にとっては何だったか。小学校1年のとき、砂場で砂鉄を集めた磁石の不思議さと、電気屋で50円か100円で買ったエナメル線を巻いて作る二極モーターのキットだった。何十個も作った記憶がある。きれい巻くことは難しかった。回ると興味がなくなって、小遣いをブタの貯金箱に貯め次のキットや模型を買った。

工作の小刀の研ぎ方、絵の描き方、漢字の書き方は優しかった父に教わった。私の人生は、右と左へ、約12年サイクルでブレまくってきた。欠かさなかったのは読書、書くこと(35年前からパソコン)、時折、人前で話すことだった。それと、オーディオ工作か。

あらゆることは自分にとって機会だったと肯定し、プラスに活かす見方をする。これが小澤の天性だった。小さくて有限な人間の、世界的な才能はこうやって作られていく。小澤の才能は、細部まで暗記した楽譜から、誰も出したことのない音をイメージするところにあった。




<Vol.1410号:正刊:追悼:小澤征爾>
2024年2月21日:特別号として有料版・無料版共通

【目次】
■1.才能は暗譜だった
■2.斉藤先生に指揮を習う
■3.斉藤秀雄の指導法
■4.サイトウキネン・オーケストラ
■5.暗譜の能力での卓越
■6.情熱の向かいかた
■7.美しいシャコンヌ
■8.フランスへの船旅(1959年:24歳)
■9.フランスに上陸
■10.ブザンソン指揮者コンクール
■11.1位になった
【後記:バブル株価】



■1.才能は暗譜だった

人は、天性の才能に恵まれるのではない。才能は作られる。小林秀雄は『モーツアルト』で同じことを言っている。「(モーツアルトのような)天才は努力しうる才である」。これが世の真実だろう。小澤は、誰よりも楽譜に向き合う時間が長かった。

グレン・グールドも小澤も彼らにとっては自然だった「暗譜」の並外れた努力を重ねていた。演奏家の勉強は、暗譜だった。1日、8時間以上か、楽譜と記号を読み、作曲家がこめた曲想のイメージ化を続ける。グレン・グールドは演奏のとき楽譜を置かず、小澤も練習と本番の指揮のとき楽譜を置かない。カギはここだ。リヒテルも暗譜していたが、なぜか、楽譜を置いて助手にめくらせていた。忘れることが恐かったのか。

記憶力は、楽譜を読む時間の多さから得られている。繰り返す時間の多さでしか記憶力は高まらない。スポーツも同じ。狙った方向に何万発、何十万発も打つことを繰り返して筋肉の記憶にする。小説家なら名作を全文いくつも覚える。そうすると、いくらでも言葉と表現法が出てくる。創造とは、記憶の加工だろう。

作家の井上ひさしは生前、夏目漱石の『ぼっちゃん』を数百回以上読んで記憶した。同じ小説をあなたは数百回読めるか。普通の人は、新しい発見がなく飽きる。そこが天才と凡庸の分岐点になる。楽譜も同じだろう。この記号は何を思って、バルトークがつけたのか?

優れた証券アナリストになりたいなら、理論を学ぶ以上に経済と金融の主要な数字を丸暗記し、数字のグラフ(映像)を頭に思い浮かべいろんな他の数字と対照すればいい。グールドや小澤と同じことをやればいい。経済・金融の玄人と素人の違いは、経済・金融の数字の記憶量だろう。記憶すれば、数字や言葉を自動で加工してくれる。まだ行われていない、他の数値との関連も発見できる。モノの製造と、文章を書くことは同じだろう。

記憶していると、あれ今週の株価の動きは過去に事例がなく変だ。何が起こっているのか・・・と調べる。変な現象には必ず、ああこれだったのかという新しい発見がある。

売り場のバートのおばさんたちに話したことがある。担当する売り場の品目で、4週ベストセラーを50位まで商品名、価格、売上数を空で言えるよう記憶していただきたい。これが売り場担当の、商品知識における義務である。売り場管理理論の実行である。

おばさんたちは、夕食の時間に、ぶつぶつ言って数表を暗記していたと家族から聞いた。やってみればわかるが、一回暗記すると、次週からの数字の更新は簡単になって、数字の変化に気がつく。他店の陳列商品との比較が一瞬でできる。

当方は日経新聞の月曜版に出ていた(今はない)、経済・金融の数字を、毎週暗記することからコンサルティングを開始した。東京への新幹線で目をつむって反芻した。経済・金融数字から、経済・金融が映像化される。企業のバランスシートや損益計算書から経営が見えるのも同じである。1990年代からの教育では、暗記が軽視されている。これは、日本の学校教育が犯したもっとも大きな誤りである。政治以上の誤りだと断言できる。教育は国家の礎である。

4週売れ数の上位50品目を記憶していると、この商品は週間で10個は売れるのに、棚在庫が4個しかない、すぐ補充しないという管理行動になる。これが売り場の管理。この商品は、先週7個売れたが、今週は3個しか売れていない。何が原因か? 商品の数字が記憶されていないと、現場を見て考えることができない。

商品は、1品目の陳列数が3個未満になると急に売上が落ちる。これもアナリストの株価分析と同じだ。小澤のオーケストラ指導の方法でもある。

オーケストラの、全部のパートの楽譜を記憶する。膨大な情報量。そこから、まだない曲のイメージを作って、目の表情、言語化した身振り、言葉で伝える。それが練習。本番では中断せず、リズムと強弱の調子をとって、演奏者が練習した記憶を引きだす表情と身振りをする。

Youtubeで小澤の練習を見て、以上のことを考えた。見ることは考えることだろう。

■2.斉藤先生に指揮を習う

怪我で指が曲がった小澤に、ピアノ教師の豊増昇は、「日本人にはまだいい指揮者がいない。指揮を勉強すればいい」と示した(これが神の啓示)。中学の同級生に話すと、指揮の先生なら友達のオジサンは斉藤秀雄だが、指揮を教えている。そこに行ったらいいだろうという。

小澤はオーケストラを聴いたことがなかった。指揮も見たことがない。考えるより先に体が動く小澤は、住所を聞いた斉藤秀雄の家を訪ね、「指が曲がってピアノできなくなったから、弟子にしてください」と頼んだ。

斉藤は、何を見たのか即座にいいよと言ったが、「こういうときはね、親と一緒に来るもんだ」と付け加えた。無料で演奏を志す子供たちに教えていた。才能を見抜く目をもっていた。才能とは子供たちの情熱だったか。情熱が続けば何でも成し遂げることができる。

斉藤秀雄の父は、英文学の斉藤秀三郎。名著の『熟語本位 英和中辞典』を1人で編纂した。古典文学の例文と熟語がふんだんに載っている。私も、大学受験のとき使った。これで、英語では合格点が取れたと思っている。今も岩波から1万1000円で出ている。

書棚を探したが、どこかに消えている。読む辞書だった。全体の2/3に赤線をひくと合格ラインと聞き、やたら赤線を引いた。斉藤の英語への情熱がこもった、しかしアンバランスな辞書だった。

斉藤の父は英語の語法(単語の適切な使い方)を研究し、例文から法則を発見し、『熟語本位 英和中辞典』としてまとめた大学者だった。子息の斉藤秀雄は、指揮の技法の法則を作ってまとめた世界最初の人だった。『指揮法教程』、小澤から紹介されて見たレナード・バーンステインが絶賛した。当時の世界の指揮者は、思い思いの方法で指揮をしていた。

■3.斉藤秀雄の指導法

小澤は斉藤秀雄に、1:1で、指揮法の、身振りの言語の基礎訓練を受けた。指揮科には、小澤だけだった。チェロの名奏者だった斉藤秀雄は生徒を褒めることはなかった。小澤は、桐朋学園のその教室にいくと今でも恐くなるという。

指揮台と指揮棒を、生徒に投げつけたこともしょっちゅうだった。1人が教室に来る時間に遅れると、オーケストラは全員でやるものだと待たせた。敗戦の3年後の1948年に、吉田秀和らと作ったのが「子供のための音楽教室」、桐朋学園の音楽科の前身だった。

斉藤の教育は、相手が子供であってもプロにするための気迫をこめた真剣勝負だった。教え子からは世界的に活躍する演奏家がた多数出た。異口同音にいうことは、「斉藤先生に世界のプロとして通用する基礎を徹底して教わった。それを知っていたので、海外でも恐くなかった。先生はとても厳しかったが正しかった」

面と向かうと恐れられ、陰では慕われた斉藤は1974年に72才で亡くなった。世界で活躍している生徒たちが「今、斉藤先生が、ここにおられたらどう言いますか」と問われると、「わぁ、いやぁ、もう、逃げます・・・」。彼女の記憶には先生が現前している。過ぎて消える時間は、脳の記憶のなかに残る。亡くなった大切な人の記憶は、いつも、その人ともにある。古典的な書籍を読むことは、亡くなった著者の意識と脳の中を、身近に感じる時間である。過ぎる時間は文字で固定できる。

■4.サイトウキネン・オーケストラ

サイトウキネン・メモリアル・オーケストラ(SKO)は、生徒たちと小澤で結成され(約100名)、1984年から、長野県松本市市で定期演奏会を開いている。SKOは、演奏技術でも世界的なランクを獲得した。現在、SEIJI OZAWA MATSUMOTO FESTIVAL になっている。小澤が亡くなった2024年には、演奏会があるのか。チケットの発売は準備中になっている。
(Web page)
https://www.ozawa-festival.com/

バイオリン奏者の会田莉凡(りぼん?)さんは語る。

<最初に小澤先生がいらっしゃった時は「本物だ!」と思いました。忘れもしない、あのスポーツハイム奥志賀の食堂の外から入ってくるお姿を見て、「世界のオザワ、来た!動いてる!」みたいな(笑)。ずっとCDの中の人だったので、すごく興奮しました。

覚えているのは、小澤さんがみんなのことを見る、ということです。後ろの方の人たちとも必ず、一人一人に目を合わせながら指揮をされる。それって、何の意味があるのかなと考えていたんですが、目を見ることで、その人がどういう風に音楽を感じているかというのを、小澤先生は感じ取れるんだろうなと思います。目を合わせると、心が動きますよね。そうすると、私も出したことがないような音が出て、それにものすごく感動し、全身全霊で弾きました。>

小澤は、目と身振りの言語で演奏者を動かす。「私も出したことがないような音が出て、それにものすごく感動し、全身全霊で弾きました」、ここまで行く・・・小澤の指揮法は、ここに尽きます。感動が生む情熱が、奏者を達成したことのない高みに引きあげる。

昔々、クラスの同級生が「演奏家が演奏するのは分かる。指揮者っていったい何をやってんだ。テンポを合わせることか」、今はたぶん世界的な美学哲学者。専門的な著書は100冊以上ある。現代舞踏の指導もしている。現在はどんな考えをもっているか。

「いや本番前に何日も、ときには何週間もかける練習のとき、楽譜の解釈を伝えるんだと思う(当方の答え)」・・・小澤は目で伝えていたのか。

【中学生の指導】
山ノ内中学校で、生徒の合唱を聞いたあとのスピーチを見る。
病気のあとであり、指揮はできなかった。

「ここでね歌った人が、30年もあとでね、この町で僕に挨拶してくれる。そのとき、めちゃ嬉しかった・・・(20秒くらい声が出ない)・・・音楽やっているとね、そういうことがね、嬉しいんですよ。つながったぁってことがね・・・」 やはり情熱の最後は心の交流か。涙もろくなったのか、小澤は泣く、生徒たちも泣く。

このとき中学生にどうつながったか。空き教室に小澤ROOMを生徒たちがつくって写真をかかげている。ここは私の宝ですと小澤は言った
(山ノ内中学校)
https://www.youtube.com/watch?v=azkkoZLjUKY

(指導の風景:TV 放送)
https://www.youtube.com/watch?v=3uxVTYTbPqU

(皆が知っているベートーベンの5番「運命」の子供たちへの説明:小澤は、子供たちに説明することが好きです。)
https://www.youtube.com/watch?v=jOxYqw7Q6Qw
(NBSテレビ:小澤の情熱が人を動かす:亡くなる1年前の登場)
https://www.google.com/search?q=ozawa+%E6%8C%87%E6%8F%AE%E3%80%80youtube&sca_esv=047f670930a35b4a&sca_upv=1&sxsrf=ACQVn08liFb-17rwf0asSWnqClaO00xbww%3A1708253551615&ei=b-HRZfiZJavd1e8Pse6u2Aw&ved=0ahUKEwi4jYWx3LSEAxWrbvUHHTG3C8sQ4dUDCBA&uact=5&oq=ozawa+%E6%8C%87%E6%8F%AE%E3%80%80youtube&gs_lp=Egxnd3Mtd2l6LXNlcnAiFm96YXdhIOaMh-aPruOAgHlvdXR1YmVIAFAAWABwAHgAkAEAmAEAoAEAqgEAuAEDyAEA&sclient=gws-wiz-serp#fpstate=ive&vld=cid:95819b50,vid:jbG_E1wUikM,st:0

小澤征爾がクラシック音楽で果たしたことは、音程の流れを示す記号の楽譜の奥にある作曲家の思いの明解な解釈だと思える。

■5.暗譜の能力での卓越

藤井聡太の将棋のように頭の中での読みが誰よりも深いと、楽譜を線的、時間的に追ったときは見えない創作者の意図に接近し、それを、楽器の調子とテンポを合わせた和音の合奏として、鮮やかに切り出すことができるのか。

音符は、論理的で線的な記号だ。音符が生む音楽として100人が演奏する楽器の響きは「複雑な全体」である。

音響の、音色ではない周波数の強さ(電力)を解析するオシロスコープで見ると、ギザギザが極まっていて、音の大きさのダイナミックレンジだけが分かり何がなんだわからない。レコードの溝を目で追って音楽を聴く人はいない。きらきら輝くCDを眺めても、何も聞こえない。演奏者にとっての音楽は、楽譜のなかにある。

日本語の音楽は、音を感覚が楽しむと書きます。英語のmusicは、耳に快い響き、美しく好ましい情報という語源をもち、これは日本語の「音楽」とおなじもだ。聞いて楽(らく)だというのではない。コトバより好ましく、快く美しいという意味のものだ。

■6.情熱の向かいかた

小澤は、出す音で聴衆の感覚を楽しませることに、他の指揮者より卓越していた。ポピュラーソング風なところもある解釈。クラシック音楽を聴いたことがない人や子供に、音楽性の何かが伝わった思えたとき、小澤は号泣するくらい感激していた。

上の3つのYoutubeは、これを示しています。クラシック音楽は人が近づけない崇高を示すものではない。地上に住む人間が、母「さくら」が言った、野の花のように美しいものだということだろう。人は、幼少期に回帰する。

【芸術と自然】
芸術は自然を模倣する(Nature imitates Art)とは、アリストテレスの言葉だった。ここで疑問が起こる。自然はふんだんにある。なぜ人間がイミテートする必要があるのか。たぶん「この美しさを固定したい」という人の自然な欲求だと思う。自然は移ろう。もうすぐ咲く桜の花も、短い時間で落ちる。

陶工が作る茶碗を眺めているとこれが自然に分かる。茶を飲むだけの道具としては、近代主義の機能性を超え、自然を模倣した、あふれる余剰がある。茶や飲料を飲むだけなら、100円ショップの茶碗やコップでいい。であるのに人は、なぜ丹精をこめて茶碗を焼くのか? 茶碗の美的な価値を評価ができるからだろう。

花には、機能的な目的はない。南国の鳥や孔雀の、極彩色の羽(自然)は機能的だろうか。自然は、無目的に美しい。太陽、夕焼けの雲、海は美しい。樹木や葉の1枚は、何も付け加えることがないくらい完全だ。朽ちた葉すら美しい。住宅の木材や天然木のスピーカーの木目も美しい。骨董は人工であっても、年月が枯らした自然のものに見える。芸術ではない、在郷隆盛の書の価値はなにか。消えた歴史が見えることの時間の価値だろう。母の古い手紙と変わらない。

音楽は、自然または人間の感情を、形式をもった劇的な音響の物語にして真似るものか(仮説)。人生の時間から、形式をもった小説が作られることと同じだろう。歴史は、出来事を、連続し相互に関連をもつ劇的な物語として年表の形式でまとめたものだ。

バッハの時代は、自然と創造的な神の物語、べートーベン以降は悩み、悩みの大きさに等しい歓喜を得る人間の物語になった。現代音楽は、ほとんど聞かないのでよく分からない。ピカソ以降の現代芸術もしっくりこない。まだ食べていない料理のように、これからの楽しみにとっておく。

クラシック音楽は貴族や富裕者が楽しんでいたものなので、人生を豊かにする。聞いたことのない方も、これを機会に、聞いていただきたい。最初は退屈だろう。50回聴くと、小澤の指揮では、指揮に込めた思いが「分かる」。こうした人の思いが伝わることが、人生の価値というものだろう。今、私は亡くなった父母に猛烈に会いたい。

■7.美しいシャコンヌ

小澤の音楽でもっとも美しいと思えるのは、バッハのパルティータ2番を斉藤秀雄が編曲し、サイトウキネンが演奏した『シャコンヌ』だろう2004年) 世界から集まったサイトウキネンの演奏者たち約100名の、17分弱の短い曲。

斉藤秀雄はこの編曲に、西洋音楽のあらゆる要素を入れた。この曲が演奏できれば、他の曲も全部うまく演奏できると斉藤は生徒たちに伝えた。昭和には、各分野にこうした人が確かにいた。昭和の日本が発展した理由だろうと思う。今は、誰がいるか?

サイトウキネンの奏者と小澤が一体になっている。松本市での新築したホールの、臨席した平成天皇ご夫婦の前でもこれを演奏した。小澤の曲がった指も見える。音楽が憑依した小澤はCDより演奏会の音楽家です。

指揮を終わったあと急に77才に戻り、楽団員の一人一人を、讃
えている。

Youtubeなので音はよくないが載せます。CDにいくつかある海外のオーケトスラでシャコンヌを指揮したときより、美しさは上。

演奏者たちが一体になって、たぶん生涯最高の音を出している奇跡の演奏。弾き方をみれば分かる。聴衆の多くは普通の松本市民。シャコンヌは膨大なバッハの曲の中でも最高のものだろう。ぜひ聴いてください。小澤の音楽が分かります。

最前列で、音を合わせるコンサート・ミストレスを務めた、表現主義の名バイオリン奏者ヨーゼフ・シゲティから,生涯にわずかしか遭遇できない逸材と評された潮田益子さんの没入が,すごい。白血病で2013年に亡くなられた。10回くらい聴いた。同じ曲の無伴奏ソナタ2番(シャコンヌ)では、五嶋ミドリ、ジャニーヌ・ヤンセン、ヒラリー・ハーンのバイオリン独奏。
(3/4拍子のスペイン舞曲風の意味)。
https://www.youtube.com/watch?v=0Z7GtGpaz-0

■8.フランスへの船旅(1959年:24歳)

小澤は『ボクの音楽武者修行』を書いている(新潮文庫所蔵:名著です)。文章の調子がまるで漱石の『坊ちゃん』だった。小澤は、漱石の愛読者だった。意図なく、真似たのかもしれない。抜群に面白い。200ページ、2時間で読める。

小澤を指揮者にしたのは、後の妻の江戸京子さんたちに言われて応募したブザンソンの指揮コンクールで1位になったことからだった。斉藤先生から1:1で約1年、基礎訓練を受けていた。オーケストラをあやつる指揮には自信があった。

文章の機能は素晴らしい。書いたひとの心の中をのぞくことができる。この文章で、あなたは私の心を見ることができる。文章を読むことは、他者の考えと心の中をのぞくことだと思えば、書店で圧倒される。数百万冊の本によって、われわれは人類の歴史の到達点にいる。読書しないひとの気が知れない。

当時は、フランスまで船で行った。お金がなかった小澤は、親と知人から寄進を受けて貨物船に乗って1人で行った。小澤は、以下のように書いた。

<マニラに着いたとき寒暖計を見たら38度あるのには驚いた。暑いはずだ。その代わりに夕焼けはすごい。見ているとこっちの顔まで反映してくる。夕焼けを見ながら、戦争で死んだ人のことを思うと胸が熱くなってきた。この辺は、激戦地だったそうだ(P25)>

ここにも小澤音楽の原点がある。38度ある天気を肯定的に受けいれる。現在の環境を肯定する。そしてそのなかで、美しいものを見て、過去の記憶を呼び起こし感情を動かす。この場合は、真っ赤なマニラの夕焼けのなかで想った戦争で死んだ人たち。これは鮮烈。仕事場の窓から見る夕焼けは、最上の絵画を超えている。

小澤は1995年の阪神淡路大震災の後の、追放されて32年ぶりに帰ってきたN響の演奏会で、急に客席に向き直り、「大震災で亡くなったひとのために、私たちこれからバッハのアリアを演奏します」と、G線上のアリアを演奏した。終わると数十秒、祈っていた。こうしたときの慣例として直後の拍手はないことを聴衆は知っている。しばらくして静かな拍手が起こった。

戦争で死んだ人たちがマニラの夕焼けと、二重映しになった。小澤が元気なころであり、演奏は一際(ひときわ)高揚している。バルトークの『管弦楽のための協奏曲』、ドボルザークの『チェロ協奏曲』。約100分。

チェロは、カザルス以来の名手、小澤の盟友のロストロボービッチ(斉藤秀雄もチェロ奏者だった)。2007年に亡くなった。バッハのチェロソナタがいい。19年も経つと、たくさんの人が死んでいる。阪神淡路は19年前だった。私の住まいも震度6で、布団から突き上げるように翔び上がった。外に出ると道路が割れていた。

N響とロストロービッチの演奏:指揮 小澤征爾、N響も力演。
ロストロボービッチも、最後に大震災の6000人の犠牲者を悼むスピーチをした。アンコールに、バッハのニ短調サラバントをお祈りとして演奏した。
https://www.youtube.com/watch?v=RsSd_yTD8Ho

N響と小澤とは、楽団員の、小澤ボイコットの事件が知られている。何があったのか分からない。たぶんブザンソン1位になった若い小澤がひとり走りすぎた。ブザンソンのときは24歳、N響事件は26歳だった。

(ポンペイで)
<毎日が暑くて日本で雪が降っていると言われても全然実感がわかない。こっちは暑くて頭がぼうっとなって、えらい奴もでないだろう。だからネールなんてのは、よほどのエラブツなのだろう>

ネールは当時のインドの首相である。非暴力・不服従を唱え独立運動をしていたカンジーが凶弾に倒れあと、英国からの独立運動を指揮した賢人だった。日本も日米安保を廃棄して独立するには、賢人政治家が必要か。誰がいるか。政治も、討論のときの人格と倫理です。

あいつには負けるとトランプに思わせなければならない。人間の迫力があった田中角栄や、国粋の精神があった石原慎太郎ならできる。今後の、われわれの覚悟になる。政治家は2024年か25年の選挙のときの、世論で動く。派閥で動く政治家は、情けない。団体や徒党を組むのは、自分に自信がないからだ。

発想が急にネールにとぶところが面白い。「暑い→エライ奴は出ない→インドにはネールが出た。」小澤は、どんな状況も肯定する。状況のなかに、肯定できるものを探す。「成功したひとたち」に共通する。他者の肯定。これが、小澤の指揮法に通じる発想。

■9.フランスに上陸

<スクーターで(日の丸の旗をつけ)地べたに這いつくばるような格好でのんびり走っていると、地面には親しみがもてる。見慣れぬ景色も食べ物も、酒も空気も何の抵抗もなく素直に入ってくる・・・美人も、よく目についた。気後れなど全然感じない。大げさに言えば、美人がぼくのために存在しているようにさえ思えた。音楽に対してもそうだ。自然のなかでの、人間全体のなかでの、また長い歴史のなかでの音楽を素直に見られるようになった>

のちに小澤の先生になったカラヤンがいう。「作曲家が生まれて育った土地に行って、街や景色を見ると、楽譜にこめたものがわかってくる。君もやったらどうだ。」 これは正しい。

小澤では「満州」だった。父が歯科医をし、たぶん裏では政治的な活動家だったのときの満州の家がそのまま残っている。6才ころまでいた。

音楽は文化、風土、土地の自然とともにある。同時代の世界的作曲家武満徹は琵琶と尺八を混合し交響曲にした。小澤指揮、リンカーンセンターで絶賛を博した『ノベンバー・ステップス』(1967年)。

NYフィルの楽団員は、練習の最初、尺八が間の抜けた音と聞こえたのか笑った。横山の、鬼気迫る演奏をしばらく聞くと、真顔になった。尺八(横山勝也)の音色のなか琵琶。奏者は盲目の鶴田錦史、男装を通したが女性である。LGBTQの時代、こう言ってもいいのか? 

鶴田の鼈甲(べっこう)のバチが空気を切り裂く。空(くう)の緊迫した間があって般若の舞のような曲である。仏文クラスの友人にも、尺八を吹く男がいた。今はTV番組製作会社のCEOか。

アメリカ人は、どう聞いたのか。特異な国として好奇の目で見られる日本は、高度成長していた。その時期の小澤の先生だったNYフィル正指揮者のバーンスタインは涙を流し「強い生命の音楽だ。魔術を見せられているかのようで、あれほど興奮したことはない」と絶賛した。

武満は、「洋楽の音は水平に歩行する。だが、尺八の音は垂直に樹のように起こる」と述べている。国語の文字は、毛筆の墨で書く縦である。英語は羽ペンとイカスミの横。縦と横の文化の、対極の統合。(武満徹についての解説:小澤指揮の演奏:一部)
https://classical-music.fun/takemitsu-toru-november-steps/

■10.ブザンソン指揮者コンクール

フランスに渡ったのは、コンクールに出るためでなかったが、知人から聞いて、ブザンソンで指揮者のコンクールがあることを聞いた。その中一人が、パリに留学留学していた江戸京子で、後に結婚する。上手なフランス語で通訳してくれた。締め切り日に遅れていたが、米国大使館に押しかけて、コンクールの出場を頼んだ。

マダム・ド・カッサという太ったおばさんが大使館にいて、NYのどこかのオーケストラでバイオリンを弾いていたという。
「あなたはいい指揮者か?」
「自分はいい指揮者になる(別のひとの言葉では1番になると言ったらしい)」
おばさんはゲラゲラ笑った。その場でブザンソンの音楽事務所に電話し、「遠い日本から来たのだから、特別な計らいをしてあげて」と当時は高価な長距離電話してくれた。小澤のもつ何かが伝わっていた。2週間あと、出場が決まったという郵便が来た。

小澤征爾という個性の面目躍如。準備なくぶつかって、真摯な、独特の愛嬌で道を開く。斉藤秀雄に弟子入りしたときと同じだ。何があるのだろう。情熱か。情熱は人を動かす。何に情熱をもてるかが個性だろう。

満足に食べてなかった。動くと足がふらふらする。スコアと指揮の勉強ができない。パリの音楽事務から、受験資格がとれたと連絡があった。朝から晩までスコアを勉強した。食事をしたことも忘れ、食事はまだかと言って、「たったいま食べたでしょう」と笑われた。

江戸京子さんと一緒にピアノを弾いてくれる人がいて、猛烈に指揮棒を振った。一生で最高に勉強したという。音楽では作曲も演奏も一人で勉強して作るという。指揮も同じだ。これが小澤。小澤からは「勉強」という古くくさ言葉がたくさん出てくる。勉強、これが人生。今は学習か、強いて勉めるほうが実態を示す。

確かに小説、脚本、論文もひとりで書く。孤独だが、社会に共通な音楽や言葉という手段がある。言葉をもたない動物のようには孤独ではない。そのとき自己と、自己を見る対自的意識と社会への窓がある(サルトル)。

家族や社会への窓が閉ざされば、孤独だろう。勉強と書くときは1人であっても孤独ではない。小澤は、1人で楽譜に向かいう時間が長い。誰より長い。これが小澤の才だろう。「自分の子供は、音楽家は舞台で弾くことだと思っているかもしれないが、そうではないんです」と言う。

■11.1位になった

世界から集まった若い指揮者の前夜祭があった。全員が自信に溢れているように見えた。第一予選は54名。日本人は自分だけだった。これからどんなことが起こるかわからず、不安でしょうがなかった。

テスト曲はメンデルスゾーンのルイ・ブラス序曲。8分の間に、オーケストラに指示して仕込む。的確な言葉が浮かんでこない。「五体全力でぶつかる」と決めた。本番では、派手な身振りで振った。観客だけでなく、オーケストラからもブラボーという歓声が上がった。一次予選の17名にパスした。

宿舎に戻る途中に花屋があった。うれしくてしょうがないので一抱えの花を買って部屋に飾った。幸福だった・・・(小澤の文章の90%は略していますが目に浮かぶ) 派手な動きの、全力の指揮が小澤らしい。

小澤には偏見、ひがみ、躊躇、気取り、当為はない。目の前の課題に全力で取り組む天性。父母と兄弟はこれを知っていた。私はこの点がダメです。取り戻す時間はない。皆さんはどうか?

二次試験は、12か所が間違ったスコアを与えられて、指揮しながら、5分間でその誤りを指摘するものだった。小澤は完全に指摘した。このとき「いけそうだ」と感じたという。

6名が合格した。小澤の名前があった。江戸京子さんと前田郁子さんに来てもらった。日本人がいることと、ジャーナリストとの通訳をしてくれることが心強かった。

本番は、ドビッシーの印象派の絵画のような『牧神の午後への前奏曲』と、ヨハン・シュトラウスの『春の声』、ビゴーがこの日のために作曲した新曲だった。防音装置がある部屋に閉じ込められていて、何を指揮するのか分からない。

クジで一番最初になった。初見で指揮する。不思議に落ちついていて存分にやれた。作曲したビゴーが、「ブラボー」と叫んだ。

6人の指揮が終わって約1時間に発表があった。待つ1時間はとても落ちつかない気分だったが、「1位、ムッシュー OZAWA!」だった。

ステージに上がって、賞金と腕時計、賞状を受け取った。何が起こっているの分からなかった。江戸さんと前田さんもステージに上がって通訳してくれ、混乱せず助かった。その後は、パーティーがあってシャンパーンと大勢。ベテラン新聞記者が押し寄せ、大変なことになった。

とても難しい曲だったが、「この程度の曲なら、日本の音楽教育では基礎的なことにすぎない」と答えると、皆目をぱちくりしていた。ヨーロッパの記者たちは、日本のことはほとんど知らない。

斉藤先生からたたき込まれた完璧な指揮法に、自信があった。ヨガのように自分の体の力を抜ききること。これがなかなか難しいが、できようになるとどのオーケストラに行っても、意図どおりに指揮ができると思う(小澤の言葉)。

ブザンソンで1位になって3日間、ふぬけのようになって、釣りをしていたという。・・・ここまでにします。西洋音楽の伝統がない日本から、世界的指揮者が誕生したのが、この日だった。

小澤征爾とは、何だったのか。音楽への情熱でしょう。情熱はなによりも雄弁に人を動かす。斉藤秀雄も、気迫と情熱の人だった。教えは、西洋音楽の文法を基礎からたたき込むものであり、これ以上なく厳しかった。恐かったが、あとになって、教えられたことの意味が分かったと、小澤を含む全員が言う。

サイトウキネンの楽団員が亡くなった先生のことを話すとき、皆、涙ぐむ。先生は、誰よりも強く教え子の成長を願っていたことが分かっていたからです。

しかし斉藤先生は、小澤が海外に行くことに反対していた。小澤はずっとそれを気にしていた。

1961年、日本での公演のためバースタイン、NYフィルと羽田に降りたとき、大勢のなかに、枯れ木のような斉藤先生も出迎えに来てくれているのを見かけた。小澤は駆け寄ってバーンスタインを紹介した。

幼少のころ歌っていた、「夕焼けえぇ~小焼けぇ~の~赤とんぼ~」の小声の合唱が響いた。「小澤、お前は幸せものだな」、バーンスタインが言った。みんな泣いていたのかもしれない。

【後記:無粋な株価】
世界の株価は、1985年から1989年の4年間の、日本の資産バブルの特徴をすべて備えています。80%の投資家は楽観、20%が悲観。メディアの論調が全部、同じになったときが危ない。堅調に上がるときは、否定的な見方があるときです。

売買の均衡点(楽観も買い50:悲観の売り50)の相場の価格は決まるからです。楽観が過剰になったときは、非合理な価格に上がっています。危ないのは、まず2024年3月、それを無事に過ぎると6月、次は9月、最後は11月から12月。

11月まで伸びれば、12月は95%の確率でのバブル崩壊でしょう。それまで、株を買ってのってもいいのですが、気配が変わったときはすぐ降りる現金化の準備は怠りなく。実際に下落相場に転換したあとでは、希望の価格で売れません。今とは逆に売り手が殺到し、買い手が消えるからです。東証の売買は、平常年の2倍と大きい(4兆円~7兆円)。


【プレミアム読者アンケート&感想の、項目のメド】

1.内容は、興味がもてますか?
2.理解は、進みましたか?
3.疑問な点は、ありますか?
4.その他、感想、希望テーマ等
5.差し支えない範囲で、横顔情報があると、テーマ設定と記述の際的確に書くための、参考になります。

気軽に送信してください。感想は、励みと参考になり、うれしく読んでいます。質問やご要望には、可能なかぎり回答をするか、あとの記事・論考に反映させるよう努めます。

読者の感想・意見・疑問・質問は、考えを広げるのに役立ちます。

著者のメールアドレス:yoshida@cool-knowledge.com


本ウェブマガジンに対するご意見、ご感想は、このメールアドレス宛てにお送りください。


配信記事は、マイページから閲覧、再送することができます。

マイページ:https://foomii.com/mypage/


【ディスクレーマー】

ウェブマガジンは法律上の著作物であり、著作権法によって保護されています。

本著作物を無断で使用すること(複写、複製、転載、再販売など)は法律上禁じられています。


■ サービスの利用方法や購読料の請求に関するお問い合わせはこちら

https://letter.foomii.com/forms/contact/

■ よくあるご質問(ヘルプ)

https://foomii.com/information/help

■ 配信停止はこちらから:https://foomii.com/mypage/



今月発行済みのマガジン

ここ半年のバックナンバー

2025年のバックナンバー

2024年のバックナンバー

2023年のバックナンバー

2022年のバックナンバー

2021年のバックナンバー

2020年のバックナンバー

2019年のバックナンバー

2018年のバックナンバー

2017年のバックナンバー

2016年のバックナンバー

2015年のバックナンバー

2014年のバックナンバー

2013年のバックナンバー

2012年のバックナンバー

2011年のバックナンバー

2010年のバックナンバー

このマガジンを読んでいる人はこんな本をチェックしています

月途中からのご利用について

月途中からサービス利用を開始された場合も、その月に配信されたウェブマガジンのすべての記事を読むことができます。2025年5月19日に利用を開始した場合、2025年5月1日~19日に配信されたウェブマガジンが届きます。

利用開始月(今月/来月)について

利用開始月を選択することができます。「今月」を選択した場合、月の途中でもすぐに利用を開始することができます。「来月」を選択した場合、2025年6月1日から利用を開始することができます。

お支払方法

クレジットカード、銀行振込、コンビニ決済、d払い、auかんたん決済、ソフトバンクまとめて支払いをご利用いただけます。

クレジットカードでの購読の場合、次のカードブランドが利用できます。

VISA Master JCB AMEX

キャリア決済での購読の場合、次のサービスが利用できます。

docomo au softbank

銀行振込での購読の場合、振込先(弊社口座)は以下の銀行になります。

ゆうちょ銀行 楽天銀行

解約について

クレジットカード決済によるご利用の場合、解約申請をされるまで、継続してサービスをご利用いただくことができます。ご利用は月単位となり、解約申請をした月の末日にて解約となります。解約申請は、マイページからお申し込みください。

銀行振込、コンビニ決済等の前払いによるご利用の場合、お申し込みいただいた利用期間の最終日をもって解約となります。利用期間を延長することにより、継続してサービスを利用することができます。

購読する