ウェブで読む(※推奨):https://foomii.com/00187/2021022406000077006 2021年2月24日発行(通算第526号) ━━━━━━━━━━━━━━━━━ 世界情勢ブリーフィング https://guccipost.co.jp/blog/jd/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「インド現代史(1):インドの世界」(2/18)の続きです。 https://guccipost.co.jp/blog/jd/?p=9088 前回は、前近代から現代の国民国家「インド」につながる文明的要素を説明しました。 今回から、本格的なインドの現代史に入ります。まず近代インドの原型を作り上げた植民地時代について解説します。 *********** インド現代史(2):植民地時代の遺産 *********** ●イギリス東インド会社 17世紀から英王室から独占貿易の許可を得た「イギリス東インド会社(East India Company)」がインドに進出しました。同社は西のカルカッタ(現コルカタ)、東のボンベイ(現ムンバイ)、南のマドラス(現チェンナイ)に拠点を置き、現地の繊維製品(「マドラスチェック」「マドラスシャツ」の淵源)や紅茶、インディゴなどの産物を欧州に持ち込みました。 そして1757年にプラッシーの戦いでフランス東インド会社を破り、英仏間の勢力圏争いを制します。このときイギリス東インド会社はフランス東インド会社と連合したムガール帝国のベンガル大守を破りました。そしてムガール帝国から徴税権(ディワーニー)を得たことで、単なる貿易会社からインドを統治する組織に変質していきます。 この時代のインドは、デリーを首都とするムガール帝国が広大な領域を支配していましたが、その力は弱まり、ラージプート、シク(西部)、マラータ、アワド(中央部)、マイソール(南部)といった地方の諸王国が独立勢力として割拠していました。 1772年にウォーレン・ヘースティングズがイギリス東インド会社の3つの拠点を束ねる初代「ベンガル総督」(後に「インド総督」)に就任すると、徴税に加え、司法と軍事の制度が整備されます。植民地統治機構に発展した東インド会社は、地方の諸王国と並び立つ政治勢力になります。 司法制度の整備にあたり、ヘースティングズは、ヒンドゥー法(シャーストラ)とイスラム法(コーラン)を拠り所としました。インドの住民を「ヒンドゥー」と「イスラム」に二分し、それぞれの聖典に法の正当性の根拠を求めたのです。… … …(記事全文4,856文字)
