… … …(記事全文4,964文字)●朝ロ首脳会談で拉致問題が遠のくのは歴然
異常な高温が続いている9月も中旬になった。9月17日が近い。昨年は「節目」であったため、「カレンダー・ジャーナリズム」が機能したようだが、打って変わって今年は静かなものである。あれから丸21年、一体何年綴ればいいのかという思いもあるが、触れないわけにはいかない。
メディアは、自民党内の見るに堪えない派閥争いでしかない「内閣改造」報道に現を抜かしている。その傍らで、北朝鮮・金正恩総書記とロシア・プーチン大統領が首脳会談を行った。これは重大なニュースであり、メディアはトップで取り上げるべきである。
テレビは、北朝鮮にロシアへ供与するほど弾薬や武器に余裕があるのか、ロシアが供与を受けたことによりウクライナにおける戦況にどれだけ影響するのか、といった表層の局地的な問題に矮小化して報道している。それでよいのだろうか。いや、深刻なのは、ウクライナ侵攻を巡って日米韓vs.中朝ロという世界的な対立構図がより鮮明になってしまうことにある。情勢に鑑みれば、軍事的対立の激化も避けられない。
もちろん、拉致問題の今後に関しては、ますます遠のいてしまったのは歴然としている。つまり、対立が長引けば日本政府が付け入る隙など、これっぽっちもないと言っても過言ではないからだ。メディアは当然理解しているはずであるが、報じることはしない。
旧稿で辛淑玉さんとの対談について触れたが、2017年時点で辛さんと私とで「拉致問題の現状と将来には不安がある」と意見が一致していた。
8月18日配信「日本政府は過去を振り返り『反省の意』を明確に示すべき」
https://foomii.com/00200/20230818053000112873
対談本「拉致と日本人」で辛さんが端的に表現してくれているので、再度その言葉を借りることにした。
●政府が守りたいのは自分の利益とプライド
「政府・自民党が守りたいのは、国民でも国家でもない。自分の利益とプライドだけだ」
「北朝鮮にいる家族だけでも自由に行き来できるようにすることさえ阻まれ、今や、拉致被害者奪還という名目で、北朝鮮に対する武力攻撃の正当化さえ主張されている」
「残念ながら、その流れに取り込まれたのが拉致被害者と家族なのだろう」
●逆らう者には究極の暴力が 拉致被害者の人権はない
「戦争になったら一番先に殺されるのは私(在日)だ。日本にいても、韓国にいても、北朝鮮にいても。それが戦争のリアルだ。まず、出自から少しでも疑わしい者を殺しまくる。そして次は、どのような形であれ敵国と関わった者たち。そう、日本に戻れた拉致被害者だって安全ではない。アメリカからの帰国者がスパイと疑われ殺された過去の歴史が証明している。今も中山恭子が『蓮池透は工作員に利用されている』『国論を二分しようと工作している』と口にしているではないか」
「逆らう者には究極の暴力が振り下ろされる。そこに、拉致被害者の人権はないのだ」
⇒辛さんならではの辛辣な文章である。手厳しい指摘と警告は、まさに現実となろうとしている。「敵基地攻撃能力の保有」は法制化されたし、この国が一層好戦的になっているのは間違いない。戦争になれば、「出自の疑わしい者を殺しまくる」「拉致被害者も安全ではない」とし、私にもすぐに順番が回ってくるとは戦慄を覚えざるを得ない。そして「拉致被害者の人権はない」と断じる。正鵠を射ている。さらに、この国では、拉致被害者のみならず人権という概念すら存在していないのではとも考えさせられてしまう。
●拉致事件では被害者は「モノ」扱い
「この事件では、人間が道具のように扱われた。真相とか事実関係がどうかという前に、人間が政治の道具として、取引の道具として使われた。事件発生から今日まで、一貫して拉致被害者は『モノ』扱いだ」
⇒私が考えるに、扱いは「モノ」以下だった。したがって、人権などあるはずはない。
●在日への凄まじいヘイト・クライム
「『拉致疑惑』は、90年代には、すでに社会に当たり前にあった。そしてそれは、私のような在日に対して『戦争になったらどっちにつきますか?』という問いと同じように、踏み絵として使われた」
「大日本帝国の野望による植民地支配の結果、日本に住むことになった私たち在日に、その質問を投げかける無神経さが腹立たしかった。朝鮮人を叩きたい輩から、それは伝家の宝刀のように使われた。在日に投げかけるその眼差しのいやらしさは、今も脳裏に焼き付いている」
「そして小泉訪朝による事実の判明により、日本人の暴力は、誘拐犯に対してではなく、足元にいる在日に一気に振り下ろされた」
「凄まじいヘイト・クライムが起きた。事件後、記者会見を開いて記者は100名以上集まったのに、1社も記事にしなかった。在日は見殺しだった」
蓮池透の正論/曲論
蓮池透(元東京電力原子力エンジニア)