ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00160/2019102900192059826 //////////////////////////////////////////////////////////////// 歴史の視点から世の中を観る 歴史ナビゲーター井上政典のウェブマガジン https://foomii.com/00160 //////////////////////////////////////////////////////////////// なぜ日本のキリスト教会の多くは反日なのか? その3 なぜ日本のキリスト教会の多くが反日なのかという命題を常に頭にもっていろんな本や話を聞いていくといくつかのことが浮かび上がってきました。 まず、本から。 朝鮮併合の事実をいろんな本やネットで調べていくときに、3.1運動という朝鮮の独立運動が引っかかってきます。実際は簡単に鎮圧されたそうですが、戦後の韓国の反日の人たちはこれが大きな運動だったと強調したようです。その最たる人は文在寅大統領で、反日運動の根拠ともいえる3.1運動を高く評価しています。 3.1運動とは、1919年(第一次世界大戦が終結した翌年)の3月1日、1910年が日韓併合ですから、その9年後にこの事件は起こりました。その首謀者となったのが、キリスト教・天道教(東学の一派)仏教の宗教指導者33名です。 その背景として第一次世界大戦の末期の1918年1月にアメリカ大統領ウイルソンにより、「一四か条の平和の原則」が発表されました。これがもとになり、国際連盟が設立されるのですが、その条項の中にある「民族自決」の意識が高まり、李光洙(イ・ガンス)ら日本に留学していた朝鮮人学生たちが東京神田のYMCA会館に結集し、「独立宣言書」(二・八宣言)を採択しました。これに呼応して先の33名の宗教指導者たちが高宗の葬儀(3月3日)を前に集って、「独立宣言」を読み上げたのがきっかけとなりました。 その内容は; 「吾らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民である事を宣言する。これを以って世界万邦に告げ人類平等の大義を克明にし、これを以て子孫万代に告げ民族自存の正当な権利を永久に所有せしむるとする。」 立派な文言です。これがかかれたのが1919年です。どうして朝鮮はその前にこれを実施しなかったのでしょうか。日本が苦渋の選択でお荷物の朝鮮半島を背負い込むことになった理由の一つとして、朝鮮の為政者たちが自分たちの栄華ばかりを追求し、国民のことや国家安全保障のことをないがしろにし、清国やロシアの南下政策を自国の軍隊では阻止できなかったから、日本は二つの戦争を戦い、日本本土へ災禍が及ばないようにしたのです。 彼らは口ばかりは達者です。それは朱子学の「知先行後」(知識人が考え、他の人が行動する)という考えが常識化し、口ばかりで実際何もしないのが為政者であった両班だったのです。 日本では朱子学の中でも、陽明学が重要視されました。これは「知行合一」を唱えています。 その後の規模や犠牲者は諸説があり、これを重要だとする人たちは犠牲者を7509人とし、100年目にあたる今年の文在寅大統領もこの数字を引用して演説しています。しかし当時の朝鮮総督府が村役場ごとに集計した553人とは13倍以上も差があり、数字を単純に鵜呑みにすることはできません。… … …(記事全文3,885文字)