ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00160/2019102522244459737 //////////////////////////////////////////////////////////////// 歴史の視点から世の中を観る 歴史ナビゲーター井上政典のウェブマガジン https://foomii.com/00160 //////////////////////////////////////////////////////////////// なぜ日本のキリスト教会の多くは反日なのか?その2 明治生命に入社しても、日曜日の午前は仕事が無ければ西南と同じバステスト派の教会を探して家族で通っていました。一番長く通ったのが、高槻教会でそこの牧師さんがとても立派な方で家族を連れて毎週通っていました。子供のクラスがあったので、子供たちはそこへ楽しそうに通っていました。 ある時、お正月の礼拝の時に牧師さんが説教の中で、「新年が明けるとお天道様に手を合わせて、あっ、これ言ってはいけなかった」とすぐに訂正されたのです。それがとても不思議に思えました。この牧師さんは哲学的も人間的にもそして日本人としてもとても尊敬できる方でした。 だからいつも説教を聞くととても素直な気持ちで聞けたのです。でもその時はお正月の太陽をお天道様と呼んで何が悪いのかと素直に思いました。牧師さんの心には日本人的な心があったので、素直な気持ちを表現されたのですが、キリスト教会の牧師としては不適切な表現だと思われたのでしょう。教会の皆さんは笑って済ませていました。 でも、これがとても心に残ったのです。 そういう時は、すぐに質問するのが私の信条です。牧師さんに「どうしてお天道さまと言ってはいけないのですか?」というと、「それは神道にあたるからキリスト教の牧師としては説教で言うべきではないんです。日本人としては普通の感覚なんですが」とお応えになりました。 「ほう」と妙な納得をして終わりました。何かがおかしいと思ったのですが、その時の私はそこまで追求するだけの知識に欠けていました。ただ、違和感を始めてキリスト教に対して抱きました。 皆さんもよくあることですが、一度そういう違和感を抱くと次々に心のアンテナに引っかかってくることがあります。 そのすぐ後に、韓国のキリスト教会から一人のおばあちゃんが特別講話者として来られました。今から30年ほど前の70歳くらいのおばあちゃんです。日本の統治時代に日本語の教育を受けていますので、たっしゃな日本語での講話でした。 その話の内容やその時の様子を今でのはっきりと覚えています。 「私は学歴も知識も何もないけれど、万能の神様が私のそばにおられるから、私は何の心配もしません。神のお導きによって私は自分の人生を生きているのです」と情熱をもって語られるのです。その時はとても感動しました。… … …(記事全文3,689文字)