… … …(記事全文4,606文字)「医療が国を滅ぼそうとしている」
なんて馬鹿げたことを言うのか。そんなことはあり得ない──そう考える人が大半かもしれない。
そもそも医療は、人々の健康を守り、命を救うためにある。ひいては、それが国を守ることにつながるはずだ。それが普通の考えだろう。
しかし、2020年からのコロナ騒ぎを通じて、私は医療が国を亡ぼすという考えを強くした。
なぜなら、医療があまりに肥大し過ぎたからだ。
それによって多くの国民が幸せになり、国を富ませているのならば、社会における医療の存在が大きくなることは、肯定的に捉えるべきだろう。
だが、私にはそうは思えない。むしろ肥大化した医療によって、国民の多くが不幸になり、国の弱体化を促進している。
国が活力を取り戻し、国民の多くが生きがいを感じられるようにするには、むしろ社会における医療の存在を小さくするべきだ。
私は本気で、そう考えている。
なぜ、医療を小さくすべきなのか、そして社会がどうあるべきなのか。1回1回テーマを絞りながら、それを明らかにしていきたい。
しばらく、この連載を続けることになるが、ウェブマガジンの購読者の皆様には、どうぞお許しをいただきたい。
第1回目は「国民医療費」を取り上げる。
ご存じのとおり、国民医療費は年々膨張している。まさに、「肥大化した医療」の実相を示していると言えるだろう。
いまから33年前の1992(平成4)年には、国民医療費は23兆4784億円だった。それから30年間、国民医療費はほぼ毎年右肩上がりに増え続けている。
2022(令和4)年には46兆6967億円にまで膨張した。
その間、日本の国民総生産(GDP)は約483兆円から約566兆円と1・17倍しか成長していない。
だが、国民医療費の国内総生産に占める比率は高まり、95年は5・05%だったのが22年には8・24%と1・6倍になっている(厚生労働省「令和4(2022)年度 国民医療費の概況」)。
つまり、国民が医療費にかける負担は、着実に重くなっているのだ。
日本は国民皆保険制度が整備されている。
医療機関の窓口が支払う負担額は、原則として69歳までは3割、70~74歳は2割、75以上は1割で済む。
そのため、国民は日本の医療費が安く、気軽に医療にかかれるかのように「錯覚」させられている。
だが、国民医療費の財源は、「公庫」17兆6837億円(うち国庫11兆7912億円、地方5兆8925億円)、「保険料」23兆3505円(うち事業主10兆1316億円、被保険者13兆2189億円)、「その他」5兆6625(うち患者負担5兆4395億円)からなっている(同上)
つまり、国民医療費の出所は、すべて我々「国民」の財布からなのだ。
確かに、交通事故で救急搬送されれば百万円とも1千万円とも言われる治療費を請求され、負債を抱えることになると言われている米国に比べれば格安かもしれない。
だが、実質的に我々国民は、医療費の「10割」を負担している。そのことを、患者となる我々も、医師を中心とする医療者も自覚すべきだろう。
実際、個人事業主である私は国民健康保険に加入しているが、毎年80万円を超える保険料を負担させられてきた。それを8カ月で割って請求されるため、ひと月に10万円を超える額を払ってきた。
健康保険は人の命を救うためにあるはずのものだ。だが、わたしは本気で「保険料に殺される」と思っている。
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