… … …(記事全文10,112文字)2025年大阪・関西万博が13日、開幕した。この日は約12万人以上が来場し、"盛況"のうちに初日を終えた。万博協会も内心、ホッとしているのではないか。もっとも、万博協会がホッとできるのは入場者数に限ったことで、参加者から聞こえてくる声はひどいものが多かった。協会も真っ青になっていることだろう。
まず、12万人の来場で駅と会場は大混乱した。地下鉄「夢洲駅」で降りてから入場するまで2時間半もかかる人もいたから驚いた。あいにく、開幕日の13日は雨。傘を差しながらの大行列は子ども連れにはかなり厳しく、入場前に「ママ、もう帰りたいよ」とべそをかく子どもまでいたという。
入場しても予約したパビリオンがまだ工事中で入館できず、雨の中で昼食を食べたくても雨宿りする場所もない。帰宅しようとゲートへ向かうと、ここでも大混雑。ピークには地下鉄に乗るまで1時間以上もかかったケースがあり、"帰宅難民"が出る有り様だ。ついでに、会場内に人が集中するので携帯電話の電波がつながりにくいというオマケ付き。SNSから流れてくる参加者らの投稿を読むと、「地獄絵図」「地獄万博」という悲壮な書き込みまであった。このような混乱と混雑は、おそらく5月のゴールデンウィークまでは続くと思われる。
と思っていたら、案外そうでもなさそうだ。万博協会が公表する「開幕後2週間の会場内の混雑予想」を見ると、開幕日の13日こそ大混雑だが、土日以外の平日はそうでもない。
https://www.expo2025.or.jp/news/news-20250409-04/
事実、初日以降は出足が落ちている。14日約5万1000人→15日約4万6000人→16日約5万6000人→17日約6万5000人→18日約7万6000人と、いずれも初日を上回ることはない。なお、土曜の19日は8万9000人、日曜の20日が7万6000人と平日と大差ない数字だった。本来なら、もっと多くなってもらう必要がある。そうでなければ万博の収支は赤字になり、そのツケはいずれ国民に回ってくるのは確実だ。
個人的な話で恐縮だが、私はこれまで数多くの万博を訪れてきた。中学生のときには1970年の大阪万博に行って感動した。学生時代は1981年神戸ポートアイランド博へ、そして社会人になってからは1985年つくば科学博と1990年花博、1994年には和歌山・世界リゾート博、2000年の淡路島・ジャパンフローラ2000、そして2005年になると愛・地球博に行った。なお、国際博は1970年大阪万博と2005年の愛・地球博のみで、1985年のつくば科学博と1990年の花博は特別博という位置づけである。それ以外は地方博だ。また、1970年大阪万博と1981年神戸ポート博を除いて、あとは取材である。あまりにも博覧会ばかりに行くので、仲間からは「お祭り記者」「万博記者」などと笑われていた。
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