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やっぱり地理が好き
~現代世界を地理学的視点で探求するメルマガ~
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第83号(2022年10月23日発行)、今回のラインアップです。
①世界各国の地理情報
~インドネシアを「楯」にするオーストラリア~
②今週の気になるニュース
~牛のゲップに課税するぞ!~
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こんにちは。
地理講師&コラムニストの宮路秀作です。
日頃、周りの人たちからは「みやじまん」と呼ばれています。
今回で83回目のメルマガ配信となります。
「昨日の敵は今日の友」という言葉がありますが、これは「人の運命や世の中は絶えず移ろいゆくものなのであって、あてにならないものである」という意味があります。
ブッダはこれを「無常」という言葉で表したわけですが、世の中「常」というものなどありませんね。生きるとは喜怒哀楽を感じることなので、いつも喜んでいる人がいなければ、いつも怒っている人もいない(たまにいる)のです。
その時の状況を鑑みて、己の行く道を選択するわけです。
ところが日本という国は、70年以上も前に作った憲法が今でも存在していて、憲法を守ることが目的化しています。もちろん、憲法とは国家の根本的なルールなので尊重されるべきものなのですが、時代が変われば色々なものが変わるわけで、昔のルールでは現代世界には対応しきれないものが顕在化してしまうわけです。
だからこそ、「自らの生活を豊かにするために、適宜ルールを作り替える」という考えが大事だと思うのですが、「憲法改正」という言葉が「9条改正」と同じ意味に捉えることしかできない人たちがいて、そういう状況だからなのか、「憲法改正」と訴えると、「戦争したいのか!?」と「右翼」のレッテルを貼られるわけです。
そういう二元論でしか考えられない人たちと議論すること自体が時間の無駄なので、わたくしは基本的にスルーするようにしていますが、あまりにも出鱈目な人間が雨後の竹の子のように沸いている今日この頃です。
以前から存在していたのだと思いますが、それがインターネットの登場で可視化されたと言えます。また実名で情報発信している人に匿名で喧嘩をふっかけている時点で同じ土俵にいないのですが、それも理解できないようです。しかしルールを適宜作り替えていくとしても、「はて?」と首をかしげたくなるようなルールも存在します。
アフリカのマラウィでは、「公共の場所でのおなら禁止」という法案が出されたことがあります。何でも「民主主義のせいで、人前でおならをする人が増えた!」ということらしいです。つまり「民主主義の採用で自由を手に入れた国民は、その自由をはき違えて、人前でもおならをする自由を手にしたと勘違いしているのだ!」とのことです。
ここまで来ると、なかなかにして色々な意味で香ばしいですね。
しかし民主主義ですからね。みんなの合意によってルールが決められるわけです。そのルールが時に間違っていることもあるわけですから、「法律なんてものは、人間生活の後追いでしかない」というわけです。
日本では長らく、高等学校において「世界史のみ必修」というルールがありましたが、これは明らかに間違ったルールでした。でなければ、未履修問題は起きなかったはずですし、それを理由に首をつった高校の校長先生がいたほどなのですから。
ルール作りは難しいですが、誰かを縛るのではなく、豊かにするために作って欲しいと切に願うものです。
ところでみなさん、もうお求め頂けましたでしょうか?
▼『ニュースがわかる!世界が見える!おもしろすぎる地理』(だいわ文庫)
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それでは、今週も知識をアップデートして参りましょう。
よろしくお願いします!
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①世界各国の地理情報
~インドネシアを「楯」にするオーストラリア~
今月20日、オーストラリア国防相がインドネシアとの軍事的な合同演習の実施、インドネシアへの武器輸出の継続の意思があることを示しました。
国防省の声明によると、「インドネシアがオーストラリアの最重要パートナーの一つであることは間違いない。そのため、今後も合同演習を実施するし、軍事訓練を提供するし、インドネシアに軍備を輸出するぞ!」とのことです。
このニュースがそもそもなぜ取り上げられるのかについて、今回は解説をしていきたいと思います。
■ニューギニア島を巡る動乱
インドネシアは1万7500余りの島をもつ多島国として知られています。その多くが火山島であり、特にアルファベット「K」の形をしたスラウェシ島は環太平洋造山帯とアルプス・ヒマラヤ造山帯の結節点とされています。周辺にはプレートの狭まる境界沈み込み型が見られ海溝が存在します。そのため地震や火山の多い地域です。
▲インドネシアと周辺の海溝
およそ7万年前に始まった最終氷期(ヴルム氷期)は、インドネシアのスマトラ島にあったトバ火山の大爆発によって引き起こされたとされています。火山の爆発によって舞い上がった火山灰によって太陽エネルギーが遮られ、地球表面は寒冷化し、そのまま氷期に突入したとされています。
ちなみに、「氷期」と「氷河期」は別の概念であって、「地球上に氷河が存在する時代」が氷河期と呼ばれますので、言ってしまえば現代世界も氷河期といえます。
スマトラ島の南側にあるスンダ海溝は、はユーラシアプレートとインド・オーストラリアプレートの境界に位置しており、インド・オーストラリアプレートがユーラシア大陸の下に沈み込んで行くことで海溝を形成します。
プレートは海水を引きずり込みながら沈んでいくので、ある程度の深さに達するとマントル上部のかんらん岩が溶けてマグマだまりを作り、これが火山となって地表に島を作るわけです。
▲プレートの狭まる境界沈み込み型
(『目からウロコのなるほど地理講義(系統地理編)』より抜粋)
ニューギニア島は東部をパプアニューギニア領、西部がインドネシア領となっていて、国境線は東経141度に沿って引かれています。ニューギニア島の西部はインドネシア領となっていて、パプア州と西パプア州、南パプア州、中部パプア州、山岳パプア州の5州が存在します。
経緯線を利用した国境は、東経141度以外には、東経25度(リビアとエジプト)、北緯22度(エジプトとスーダン)、北緯49度(アメリカ本土とカナダ)、西経141度(米国アラスカとカナダ)があります。
そして、ニューギニア島のすぐ南側に位置しているのがオーストラリアです。
▲オーストラリアとトレス海峡
上図より、オーストラリアとパプアニューギニアがトレス海峡を境に位置していることが分かります。そのため、トレス海峡に存在する274の島の島民たちが、どちらに帰属するのかで常に揉めることとなります。
今年5月にオーストラリアの首相となったアンソニー・アルバニージーは、「アボリジニーとトレス海峡諸島民はオーストラリア人だぜ!」との見解を述べています。しかし、実際は使用言語を考えればパプア人に分類されるようで、アボリジニーとは異なる民族とされています。またオーストラリア・クイーンズランド州に帰属するとされるこの地域は、そもそもトレス海峡自治政府による統治が行われています。
こうしたことから、アルバニージー首相の発言がオーストラリアとパプアニューギニアとの間にいかに緊張を走らせるかが理解できます。
オーストラリアとパプアニューギニアは海を隔てていることもあって、それが緩衝地帯として機能します。しかし、ニューギニア島はインドネシアとパプアニューギニアが陸続きになっていることもあって、ここに「むき出しの導火線」が存在することとなります。
東南アジアには、かつてオランダ領東インドというオランダの植民地国家が存在しました。これが現在のインドネシアとほぼ一致することもあって、「インドネシアの旧宗主国はオランダ」と称されます。そして、ニューギニア島西部はオランダ領ニューギニアと呼ばれていました。
最終的にオランダ領ニューギニアも含めてインドネシア領となるわけですが、ニューギニア島西部はパプア人(パプア諸語を母語とする民族)が居住する地域であり、インドネシア人とは別の民族であることもあって、独立を目指しました。
オランダは「ニューギニア島西部はインドネシアには含まれないものとする!」と表明してこの独立を容認し、さらには「『西パプア』という国名はどうだろうか?」と提案までします。これはニューギニア島の先住民であるパプア人の自治権を認める方針を示したものとされています。
しかし、インドネシアが明確に反対の異を示し、1961年には西パプアに軍事侵攻します。いわゆる「パプア紛争」と呼ばれるものです。この紛争の解決に乗り出したのが、ジョン・F・ケネディ米国大統領(当時)でした。アメリカ合衆国の調停交渉により、西パプアは国際連合の統治下に置き、1963年にはインドネシア統治に移管、さらに1969年までに最終的な帰属はパプア人に決めてもらうことで合意されました。
しかし、1969年に西パプアの帰属を決めるための選挙では、インドネシア国軍が選好した少数の人間だけが投票を許されるという、いわゆる「出来レース」であり、「俺たちはインドネシアへ帰属するぞ!」と賛成100%というありえない状況下でインドネシアへの併合が決まりました。
こうなると、独立解放運動が顕在化するのは必然で、1971年には「自由パプア運動(OPM:Organisasi Papua Merdeka)」と呼ばれる独立を目指す組織が結成され、西パプア共和国を宣言しました。このため、「パプア紛争」は現在まで続く、依然として解決されていない紛争と認識されます。
なぜ、それほどまでにインドネシアは西パプアの領有にこだわるのでしょうか?