ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00200/20230505060000108707 //////////////////////////////////////////////////////////////// 蓮池透の正論/曲論 https://foomii.com/00200 //////////////////////////////////////////////////////////////// 久しぶりに拉致問題がメディアに取り上げられた。「拉致被害者の家族が訪米 4年ぶり、米政府関係者と面会」等々である。昨年の小泉訪朝20年という「節目報道」(「カレンダージャーナリズム」)以降、全く動きがなかったため、このまま拉致問題は立ち消えになるのではと危惧していた。ネタがなければメディアは報じようがない。この程度の動きがニュースになるのは、無駄とは言わないが複雑な気持ちになる。 各メディアが「必死な思い伝える」と家族のコメントを引用していた。米政府関係者と面会して訴える訪米に意義はあるのか?私の経験から、はっきり言えば「ない」である。 家族会(「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」)が国際社会への訴えをするのは今に始まったことではない。まさに、日本政府が当てにならないことの裏返しである。その歴史を紐解いてみよう。 ●ニューヨーク・タイムズに意見広告掲載 初めての試みは、1998年4月ニューヨーク・タイムズ紙に「すべての自由を愛するアメリカの皆さまに訴えます―わが子らと同胞のうえに正義の手を」と題した全面の意見広告を掲載したことだ。これには、約600万円の費用がかかったが、多くの方々からのカンパで賄われた。クラウドファンディングなどない時代である。国内で多少の話題になりはしたものの、広告にどれだけの国際的な効果があったかは、無論判断のしようがない。 ●韓国等との連携 1999年3月、韓国国家情報院が北朝鮮に拉致・拘留されている韓国人454名の名簿を公開したのを機に、韓国でも「拉北家族会」が結成された。そこで、韓国と連携して救出を図ることを目論んだ。当初は、日本の集会に韓国の被害者家族を招くなどうまく機能しているように見えたのだが、「拉北家族会」の分裂や救う会と韓国側との確執などがあり先細りの結果に終わった。 何より、韓国の拉致被害者家族の感情を見誤ったのが大きな原因だと、私は考えている。そもそも韓国と北朝鮮には、それぞれ離散家族が存在している。韓国の拉致被害者家族の身内が北朝鮮にいるとすると、たとえそれが拉致であっても、「偏向した」「スパイになった」とのレッテルを貼られる。そのため名乗りを上げにくい人たちが少なくないという。韓国政府は、日本政府との関係悪化のせいで、日本の拉致問題に対して距離を置くようになった側面もあった。 岸田文雄首相は、尹錫悦大統領との首脳会談で関係改善を確認した。その中で、拉致問題についても連携する考えも示したが、この期に及んで何を考えているのか。20年以上前に失敗に終わった事例を学んで欲しい。 他に、タイ、マカオ、ルーマニア、米国にも、拉致被害者がいることが明らかになり、家族会は現地の家族との連携を模索した。しかし、決して功を奏したとは言えない。というのも、米国を除いて、いずれの国も北朝鮮と国交があり、日本と連携した場合、自国政府の外交交渉に悪影響を及ぼし、逆効果になる可能性があるからだ。 ●初の家族会訪米 2001年2月25日から1週間、家族会と救う会がワシントンD.C.とニューヨークへ向けて初めて訪米した。メンバーは、家族会から、横田滋・早紀江夫婦、蓮池秀量・ハツイ夫婦、地村保、浜本雄幸、有本嘉代子、救う会から西岡力、荒木和博、福井義高であった。 訪問先あるいは面談相手は、米議会調査局専門官、国務次官補代行、インターナショナル・ジャスティス・ミッション、アメリカン・エンタープライズ・インスティテュート、日本大使館、共和党上院議員スタッフ、アムネスティ・インターナショナル米国事務所、民主党上院外交委スタッフ、ヘリテージ財団、人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(人権監視委員会)、日本政府国連代表部などで、いわゆる要人と称されるのは、面談していた上院議員スタッフの事務所へ偶然訪れたコンドリーザ・ライス大統領補佐官のみで、短時間の立ち話の後資料を手渡したという。 この訪米に関して日本政府は静観するのみであった。そのため訪問先等のアポイントメントは、日米保守会議の藤井厳喜らが取り付け、費用はカンパに頼らざるを得なかった。非常にハードなスケジュールだったので、皆60代、70代の家族会メンバーは難儀したはずだ。帰国後「すべての方々が理解を示し、解決に向かって協力を約束してくれた。拉致問題解決のための大きな足がかりになった」と横田滋代表は訪米の成果を強調した。しかし、本当だろうか。現状を考えれば歴然としている。私の両親は、初めて訪れた土地について、年齢のせいか、ホワイトハウスの外観以外あまり記憶がないと振り返る。 ●米国下院外交委員長への手紙とメール 実は、家族会の初訪米の前、私は下院外交委員会のベンジャミン・ギルマン委員長にアプローチしていた。拉致問題に関する様々な資料、父の毛筆の手紙とその英訳を国際宅配便でギルマン氏宛に送付した。念押しのため、同氏のホームページから、英文で状況説明と送付した資料を是非読んで欲しい旨のメールも送った。結局、待てど暮らせど連絡の一つもなく、徒労に終わってしまった。やはり、面と向かって話をしなくてはいけないのか、そうすればリップサービスくらいはしてくれるかもしれないと思い知らされたのだった。 ●私も一度だけ訪米 ⇒1回目との大きな違い 日本政府も支援 かくいう私もご多分に漏れず、家族会の一員として一度だけ訪米した。2003年3月のことだ。目的地はワシントンD.C.で、出発前のスケジュール表は空白だった。日本政府の対応は1回目とは正反対だった。普通に考えれば「政府としてみっともないから、訪米は止めて欲しい。私たちに任せてくれ」と言わなければならないところ、現地に到着するとスケジュール表は見事に埋まっていた。政府が段取りをしてくれたのだ。当事者意識の欠如である。 大勢のメディアが同行し、現地から生中継するなど大きなニュースになった。ワシントン・ダレス国際空港に向けて飛び立った全日空(ANA)の飛行機。水平飛行に入ると「ご搭乗ありがとうございます。今日は、横田滋さんを始めとする家族会の皆様も搭乗されています」と機長がアナウンスした。これには驚いたが、それだけ当時は注目されていたということだ。… … …(記事全文4,789文字)
蓮池透の正論/曲論
蓮池透(元東京電力原子力エンジニア)