… … …(記事全文5,059文字)今日は,都市計画学会という学会からの依頼された原稿をかいておりました.タイトルは「計画論としての規制の役割:国土計画・都市計画における思想としての規制」というものです.
ご依頼頂いたのは,古くからの友人の,現在早稲田大学の教授をしておられる交通計画がご専門の某先生.おそらく,この某先生,この原稿を当方に依頼しようと思われたのは,昨今,猫も杓子も進次郎みたいに「規制緩和が良いのダ~!」というバカがそこら中に蔓延り,その結果,都市も地域も国土もボロボロになっちゃったじゃないか…という問題意識をお持ちで,そのあたりも思想的にきっちりかいてもらえないかと…思われたからだと想像いたしました.
ついては,まだ,原稿は途中なのですが,ちょうど今,ホットな話題となっている,進次郎が激推ししているバカ丸出しのライドシェアの話しをかきましたので,その部分だけでも,皆様にご紹介さしあげようと思います.
是非,この機会に是非ご一読なさってみてください!
進次郎っちゅうか,菅義偉ちゅうか,河野太郎っちゅうか,オヤジの純一郎っちゅうか…ホント神奈川選出の国会議員にはロクでもない奴がナント多いことかと…いうことをご理解いただけるのではないかと思いますw
「計画論としての規制の役割:国土計画・都市計画における思想としての規制」
1.規制は悪,自由が善という「空気」
規制(regulation)というと,何やら望ましくない「悪しき」代物であるという概念が薄く広く現代日本には敷衍されている.その一方で,自由(freedom)は,その逆に,掛け値無しに何やら望ましい,「善き」ものだという印象が共有されている.
例えば日本の政府には,首相官邸の会議として「規制改革推進会議」が設置されている.そして,日本国内にある様々な「規制」が自由な経済活動を妨げている危惧があるという主旨で,「規制を改革する」ための議論が重ねられ,ここでの議論が関連する各省庁が所管する規制の「改革」に反映されるということが毎年継続的に続けられてきている.その中で例えば,本稿執筆時点の最新の規制改革推進会議(令和6年5月31日)にて,まさに首相官邸内の会議室で議論されているのが,「ライドシェア事業に係る法制度についての論点整理」であった.
この問題は,現在の政府の「規制」と「自由」に対する基本的な態度を把握する上で最も分かり易い典型的問題であることから,簡単にその経緯を解説することとしよう.
2.ライドシェアを巡る「自由・規制緩和=善」というナラティブの構造
まず,「ライドシェア」とは,ホテル業界における「民泊」と同様に,「一般のドライバーが自分持ちのクルマを使って,タクシービジネスをする」という,俗に「白タク」と呼ばれているものと同じものだ.海外の多くの国ではこのライドシェアが,例えばウーバーという大企業が,スマホで予約等ができる“スマート”なシステムを活用する格好で一般的に供用されているが,我が国においてはタクシー事業に関する法律によって「規制」されていることから,海外で行われているような形でライドシェアを導入することはできない.
これに対して,菅義偉氏や小泉進次郎氏らを中心とした自民党議員達の中から,海外では当たり前のライドシェアが日本で「規制」されているのはおかしい,日本国内でも「自由」に利用できるようにすべきだという声が上がり,これに対して時の総理大臣であった岸田文雄氏も理解を示し,規制改革推進会議の中で取り上げられる様になった.
推進論者達の主な主張は,「ライドシェアという選択肢の規制を解除し,新しい選択肢として利用可能な状況にすることが,消費者にとっては利益になる」というものだ.より安くタクシーサービスを購入できるようになる,あるいは,タクシー不足が解消される,等の言説が具体的根拠として今挙げられている.なお,この主張は「ライドシェアが規制されていることで,消費者は不利益を被っている」と逆に言い換えることもできる.
この主張に対して,多くの各界著名人達(インフルエンサー達)も賛同し「海外で利用したが便利だった」「海外でも当たり前なのだから日本でも使える様にしてほしい」という主旨の声をあげ,これがライドシェア解禁論の重要な原動力の一つとなっている.
さらには,ライドシェアサービスを「販売」する業者達が強力に,マーケティング,あるいはロビー活動の一環としてライドシェアサービスを推奨する言説を(インフルエンサー達や政治家達,そしてもちろん,規制改革推進課会議等の公的機関を介して)「間接的」に強力に拡散している.
ところで,各界著名人等のインフルエンサー達がライドシェア解禁論を主張する際に,重要な論点の一つとして持ち出すのが,ライドシェアに対する規制は,既存のタクシー会社達の既得権を守るためのものであって,決して消費者の利益のためのものではない,という論理だ.この論理が準拠・想定しているのは
「世間には無駄な規制が数多くあり,それらの規制は一部の既得権者達を延命させるために存在している不条理なものに過ぎない.したがって,そうした規制を一つ一つ緩和・撤廃し,その規制に巣くっている既得権者達を一つ一つ潰していくことで,世間はより豊かになる」
という一般的ナラティブ(物語)である.
このナラティブには,「立派」な理論的根拠があるともしばしば喧伝される.その理論的根拠とは,所謂,経済学分野における一つの特殊な理論体系である「新古典派経済理論」である.この理論によれば,政府による規制があればあるほど,自由な競争が阻害され,能力の低い(つまり,より劣悪な財・サービスをより高い価格で販売することしかできない)企業が「退出」することなく,いつまでもマーケットに存在しつづける事になる,その結果,価格がつり上がり,消費者は「より劣悪な財・サービスを,より高い価格で購入させられる状況」になると説く.つまり,この新古典派経済理論は,あらゆる規制が,無能な企業を生きさらば得させ,消費者に対する不利益を拡大する悪しきものであるという事を理論的に主張するのである.
かくして,当該ナラティブは多くの経済学者達からの「正式」かつ「学術的」な「お墨付き」を与えられる事になるわけだが,それに加えて,このナラティブは,不況が長期的に深刻化しており,国民全体における一般的不満が拡大している状況であれば,それに賛同する人々,ならびにその確信の度合いが拡大し,その影響力が一気に拡大する,という恐るべき特徴を有するものでもある.我が国は消費増税が行われた1997年意向,慢性的な需要不足がたたり,経済成長が止まり,実質賃金が伸び悩み,低迷し続ける状況が四半世紀以上継続しているが,それは,こうしたナラティブの威力が拡大する社会経済状況下に我が国がある事を意味している(なお,このナラティブが世間において絶大な影響力を発揮したのが小泉純一郎氏が総理を務めていた2000年代初頭であったが,それは,それまで好景気を体験し続けてきた日本人達が初めてデフレ不況を数カ年経験したことによって社会的不満が激しく拡大した事が直接的な重大原因であったと解釈することもできる).
さて,このナラティブの基本的な構図は
・既得権者=悪
・規制緩和推進者=善
・一般国民=被害者
というものだ.現下のライドシェアを巡る議論に当てはめるなら,
・タクシー事業者=悪
・小泉進次郎氏/菅義偉氏=善
・一般国民=被害者
という構図となっている.さらに付け加えるなら,不条理な規制のせいで,正当なビジネスが展開できないライドシェアサービスの提供事業者(UberやDiDi等)もまた「被害者」の一翼を担う存在だと見なされる傾きがあるとも言えよう.
3.ライドシェアを巡る「自由・規制緩和=善」というナラティブの欺瞞
以上は一般的な世論,あるいは「空気」の社会心理構造の解説であって,現実の利害得失を論じたものでは全くない.ついては以下では「現実の利害得失」がどのような構造になっているのかを解説することとしよう.
まず,ライドシェアが全面解禁されれば,タクシー市場における供給が拡大する.その結果,タクシー価格が下落する.しかも,ライドシェア企業が提供するタクシー価格は既存タクシー会社のそれよりも安価であることが想定されるため,タクシー価格の下落はさらに加速度的に進行する.
その結果,タクシードライバーの所得は縮小する.昨今タクシードライバーの賃金が相対的に他の職種よりも低いために,新しい担い手が減少しつつある状況にあるのだが,担い手不足はさらに深刻化する.同時に,タクシー価格の下落とドライバー不足が,全国各地でタクシー会社の倒産を促す事になる.
結果,ライドシェアで一時的に拡大したかに見えた各地のタクシーサービスの供給量は瞬く間に縮小する.ただし,ライドシェア企業のタクシー市場におけるシェアは拡大していく.
かくして,ライドシェアの全面解禁は,第一にタクシードライバーの賃金の下落となり手不足,そしてタクシー会社の倒産を加速し,第二にタクシーサービス供給量の全国的な縮小をもたらす一方,第三にUber等の外資を中心としたライドシェア企業のタクシーマーケットシェアの拡大だけをもたらす事になる.
なお,こうしたライドシェア企業の寡占が成立したエリアでは,企業の合理的行動の必然的帰結として…
藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
藤井聡(京都大学教授・表現者クライテリオン編集長)