ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00160/2019081522334257479 //////////////////////////////////////////////////////////////// 歴史の視点から世の中を観る 歴史ナビゲーター井上政典のウェブマガジン https://foomii.com/00160 //////////////////////////////////////////////////////////////// 戦前の日本は本当に暗い時代だったのか? 私は昭和31年生まれで、戦後の日教組の影響をもろに受けた世代です。中学校時代、普段はおとなしい社会の先生が、メーデーの話の時に、「♪立て万国の労働者~」とこぶしを振って歌いだしてびっくりしました。 また同じ中学校時代、三島由紀夫先生の割腹自殺が大々的に報道されました。翌日先生に提出する連絡帳にその感想を「自分の命を懸けて主張することは凄いことだ」と書いたところ、翌日のお返事に「先生は全くそう思いません。命を粗末にすることは良くないことです」と書いてあったことが50年近くたった今でも、強烈に印象に残っています。 父や戦争に行き、戦後復員しています。帰ってきた時に「負けて帰ってきました」と言っていたよと祖母が話してくれたのをこれも50年以上たった今でもはっきりと覚えています。 そのころから戦記物を読み始め、子供ながらに生と死を考えていました。どちらかというとぼんぼん育ちで、クラスの中でも最初ごろから家にカラーテレビがある家庭に育っています。大学時代はマークⅡで学校に通っていました。 だから人生をそんなに真剣に考えたこともなかったのですが、なぜか戦記物だけは真剣に読み、華々しい戦果に喜び、痛々しい逃避行に心を痛めておりました。高校生からは雑誌「丸」を定期購読し、隅から隅まで読み漁っていました。 雑誌「丸」の懸賞に応募して、200分の1の戦艦大和を当てて、三日がかりで制作したのもこのころです。1.3メートルほどありましたが、玄関の靴箱の上に数年飾ってありました。 元々父親が中学校の社会の教師だったので、書棚にはたくさんの歴史の本が置いてあり、暇に任せて読み漁っていました。 すると大学時代(家から通っていました)になると、毎年8月ごろに放送されるテレビの終戦特集にだんだん違和感を覚えるようになってきたのです。 「あれれ、なんか違うぞ。何かわからないけど、なんか絶対に違う」と思うようになってきたのです。時はちょうど本多勝一の『中国の旅』や『北爆の子』などがベストセラーとなっており、ベトナム戦争終結の直後でしたので、アメリカの凋落が激しかったころです。そのため、ソ連の工作も進んでいたのでしょう、アメリカは酷い国、ソ連は凄い国、そしてCHINAは熱烈歓迎の友好国という位置づけでした。 高校生の時、CHINAへの青年の船の募集が始まると行きたいと言って応募しましたが、父親はあまり賛成してくれませんでした。あんな国に行って何をするという具合でした。でもその頃は日中友好一色の時代です。結局は私の次の番号の友人は受かり、私は落ちていけなかったのですが、もし言っていたら、もっと親中になっていたかもしれません。… … …(記事全文5,016文字)
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井上政典(歴史ナビゲーター)