■「防衛3文書」という言葉は、去年からすでにマスコミで使われていた記憶がある。また、その中身も1年以上前から徐々にリークされ、マスコミで地均しされてきたもので、周到に世論を固めてきた末に閣議決定を迎えた政治だ。反撃能力についても、敵基地攻撃能力を反撃能力の語に切り替え、概念の中身を変えて敵軍中枢 - 例えば中国人民解放軍の総司令部たる総参謀部のある北京中南海 - への攻撃も可としたことについても、昨年からマスコミで説明がされ、時間をかけて周知され、政治的正当化のために賛成多数の数字を示して念押しする世論調査がなされてきた。防衛費のGDP比2%倍増についても同様で、これはトランプの時代から要求されてきたものだ。 いずれも、本来なら反対多数になり、国民から反発が上がって政治戦になるところだったが、ウクライナ戦争が起き、政府と右翼と米国にとっての猛烈な順風が吹き、テレビ(報道1930、プライムニュース、NW9)での世論工作が快調に進む環境が整い、閣議決定の段を迎えても大きな反対の声が勃興する事態にはならなかった。政府と右翼にとっては、ウクライナ戦争はまさに奇貨であり神風だったと言える。8年前から7年前の集団的自衛権と安保法制の際は、そうした「環境整備」がなく、安倍晋三が強引に突っ込んだため、大きなハレーションが起きて政治戦となった。政府と右翼にとって奇貨は幸運だったが、7年前の経過をよく学習し、時間をかけて長々と世論工作を積んだ「成果」だと言える。 ■7年前を思い出すべきだが、あのとき、古舘伊知郎の報ステは、毎晩のように安保法制に反対する憲法学者の数をパネルに出し、またこんなに増えたと報道していた。スタジオには木村草太や樋口陽一が解説者として登場していた。岸井成格と膳場貴子のNEWS23も同様の報道だった。今回、ずっと防衛計画大綱だったものを国家防衛戦略と名前を変えた。中期防衛計画を防衛力整備計画と変えた。自衛隊独自の文化を切り捨て、米軍の方式に合わせて仕様変更したことが窺える。嘗ては戦略という言葉は使ってなかった。報道等ではほとんど意味が注目されてないが、重大な変更であり、自衛隊が嘗ての憲法9条と自衛隊法の部隊から変わり、米軍指揮下の戦争する軍隊に変わったことを意味している。右翼が求めてきた理想の軍隊に変わった。 3文書のトップに位置づけられている国家安全保障戦略は、今回が2回目の策定で、前回は2013年に安倍晋三によって打ち出された。それまではこんなものはなかった。このとき、自衛隊の性格を大きく変え、中国を主敵とするアジア太平洋戦略の軍事戦略に自衛隊を使うことが明確に国策化されたと言っていい。2013年の国家安全保障戦略を読むと、「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値」の語が何度も強調され、安倍晋三の臭いがプンプンする。ここから始まって、13年の秘密保護法、14年の集団的自衛権の憲法解釈変更、15年の安保法制と続く。安保法制に先立って15年4月に発表された日米ガイドラインでは、南シナ海がフォーカスされていた。… … …(記事全文4,233文字)