… … …(記事全文2,155文字)小沢一郎は、「執拗さ」「しつこさ」を発揮して、これまで父の期待に懸命に何度も応えようとした。だが、それらをことごとく裏切ってしまった。小沢にとっては親不孝の極みである。「父の期待に応えられなかった」という悔いの念を抱き「この代償はどこかで埋め合わせしなければならない」と思い続けてきたのだろう。
ところが、小沢が司法試験に二度目の挑戦を目指して猛勉し、最後の仕上げにかかっていたその最中に、父は、体力の衰えから急に元気を失い、慈恵医大病院に入院した。だが、父の容体は、よくなることがなく、昭和四十三(一九六八)年五月八日未明、心不全のため六十九歳で他界してしまう。年齢的には、早い死だった。
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