□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2010年11月10日発行第189号 ■ =============================================================== いつからWTOは消滅してしまったのか =============================================================== 世の中に流布されているTPPの議論には大きな誤りがある。誤りとまでは 言えなくとも、少なくとも一方的な議論が横行している。 その事について何回かに分けて指摘してみたい。 最初に指摘したい事はWTOはいつから消滅してしまったのか、という素朴 な疑問である。 そもそも戦後の国際経済体制はIMF-GATT体制と呼ばれるように 金融面でのIMFと貿易面でのGATTの枠組みで交渉が行なわれ、形作られ てきた。 すなわち国際貿易の自由化交渉といえばGATTでの交渉であった。 そこでの大原則は加盟国間の無差別自由化である。 GATTは1995年に発展的に解消され、より世界的規模のWTOに引き 継がれることになったが、この無差別原則は引き継がれた。 日本はGATTやWTOにおける自由貿易交渉に積極的に参加して、世界に さきがけて最も関税を引き下げてきた国の一つであった。 最大の例外である農業分野を除いて。 私が外務省に入ったばかりの頃は、外務省の仕事の主流は、政治面では日米 安保体制を担当する北米局や条約局であり、経済面では自由貿易交渉すなわち GATTを担当する経済局であり、その中の国際機関第一課であった。 これらを担当する外務官僚たちは省内では肩で風を切って歩いていたのだ。 ところがいつの間にかWTOという言葉が消えて、二国間や地域間の自由 貿易協定交渉ばかりが目につくようになった。 しかし、そもそもこれらはWTOの原則である無差別貿易自由化と反する ものだ。 すなわち域内(加盟国内)と域外を差別する保護主義的動きに陥る危険がある。 一体WTOはどうなっているのだろう。もはや消滅してしまったのか。 決してそうではない。 IMF-GATT体制はその限界が指摘されて等しいが今でも厳然と存在 しているのだ。 この奇妙な現象を説明してくれる記事はまったく見当たらない。 必死で探していたら、やっと二つの記事が見つかった。 一つは11月5日の東京新聞「ニュースG&A」の次のような解説である。 「自由貿易の障壁となる関税の撤廃に向けた多国間協議の場として1948年、 関税と貿易に関する一般協定(GATT)が発足した。さらにGATTは 1995年、世界貿易機関(WTO)に発展した。 しかし2001年から始まった交渉で農産物の関税撤廃などをめぐって対立し、 WTOの交渉は停滞している。 この間、アジア太平洋地域の貿易自由化に向けた緩やかな枠組みとして 1989年、アジア太平洋経済協力会議(APEC)が設立された。その後は WTOのかわりに、二国間の自由貿易協定(FTA)と経済連携協定(EPT) という枠組みが出てきた。 1997年のアジア通貨危機後、調整しやすいFTAやEPTが主流となった・・・ TPPはFTAの多国間バージョンだ。金融危機後、成長著しいアジア市場 に参入するため、米国が参加を検討し始めてから加速した・・・」 もう一つの記事は、11月8日の日経新聞「経済教室」におけるブランダイス 大学教授ピーター・ペトリ氏の解説だ。その中でペトリ教授は次のように述べ ている。 「・・・TPPには、世界的な貿易自由化を促す効果もある。世界貿易機構 (WTO)多角的通商交渉(ドーハラウンド)が暗礁に乗り上げた結果、ここ 数十年にわたって主要な成長エンジンだった国際貿易は、自由化が進まない苦し い時期を迎えている・・・」 賢明な読者ならもうお分かりであろう。 TPPが急に浮上した背景には、なし崩し的にWTOを終焉させ、自国に有利な 貿易体制をつくろうとする米国の戦略があるのだ。 それはあたかもなし崩し的に日米安保条約を変更し、日米同盟という名の 対米戦争協力に日本を巻き込もうとする米国の戦略と共通する。 菅首相が突然「平成の開国」などという大袈裟な言葉を叫んでその参加を国民 に迫るのは、その対米従属さをごまかすためだ。 TPPの参加を急ぐ必要は決して無い。 WTOがそうであったように各国の利害が衝突して今後の交渉は紆余曲折必至だ。 各国の出方をよく見極め、研究する段階だ。 日本にとっての得失を冷静に考えればいい段階なのである。 了
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