… … …(記事全文1,354文字)和室のある家には現代もよく使われている障子ですが、原型は平安時代の遣戸(やりど)と言われています。
平安時代には、襖や引き戸、屏風なども含めて、視線など遮るものは「障子」と呼ばれていました。「障」は遮る、「子」は道具の意味です。
※『源氏物語絵巻』(東屋二)12世紀
この広義の障子は貴族の邸宅で寝殿造りの柱を立てた大広間を区切るために使われたのが始まりで襖の誕生から約100年後に、襖より簡素な造りで部屋を仕切る「明かり障子」が誕生しています。
※法隆寺・聖霊院 鎌倉時代 国宝
平安後期に引き違いの障子が使われるようになり、広く普及、鎌倉時代には細い組子骨を用いるようになり、現代のような格子の組小骨に和紙を張り付けるものとなりました。
ただの和紙を張り付けただけの建具がなぜ重宝されたのか。