… … …(記事全文1,741文字)明治5年(1872年)11月9日に、江戸時代まで長く使ってきた陰暦を廃止して
太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されることが発表され、12月3日(明治6年1月1日)に改暦が
実施されました。
太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス
今般太陰曆ヲ廢シ太陽曆御頒行相成候ニ付來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事
※改暦ノ布告 明治5年11月9日太政官布告第337号
太陽暦の導入の理由として、暦と季節とのズレが少なくなる、諸外国と暦が共通になる、うるう年のルールが単純になる、交際上も便利になるなどの理由があり、
明治新政府は改暦を実施することとなり、1年を365日とし、365日を12月に分け、
4年毎に366日となる閏年をおくこと、1日を24時間とする定時法とすることなどが定められ、
旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日とすることとされました。
明治5年12月2日の翌日が12月3日ではなく、明治6年1月1日に定められたのです。
この布告は、年も押し迫った暮れの時期に急遽公布されたので一部で大混乱になりました。
しかし、無理に改暦を急いだのにも、政府側にそれなりの理由があったのです。