… … …(記事全文4,909文字)「我々はコロナワクチンを打っていないというだけで『反ワクチン』『公衆衛生の敵』『集団免疫のフリーライダー』などと『非国民』であるかのごく差別された。だからこそ、コロナワクチンに抵抗した我々は、あらゆる差別に反対すべきだ」
これは、2025年7月27日に私がX(旧ツイッター)に投稿した内容だ。8月1日時点で5500回表示されており、466人が「いいね」をつけ、74人がリポストしてくれた。なぜこんな投稿をしたのか。7月20日の参院選で参政党が躍進したことで、同党のスローガンである「日本人ファースト」が「差別」なのか「区別」なのかといった議論が、Xで盛り上がっていたからだ。
同じ言葉を聞いても、参政党に親近感を持つ人と反感を持っている人で捉え方が異なるのは当たり前なので、今ここで「日本人ファースト」というスローガンの是非を問うても不毛だろう。だから私は、敢えてこの言葉の意味を深堀りはしない。ただ、参政党の支持者であろうとなかろうと、コロナワクチン抵抗した我々が明らかに「差別された」という事実だけは、絶対に忘れてほしくない。私はそれを強調したかった。
とにかく私は、平気で差別をする人が大嫌いだ。それは私の子どもの頃の原体験に根差している。最初に差別という醜いものがこの世に存在するのを実感したのは、小学生の頃だった。同級生に「小児まひ」の生徒がいたのだ。彼のしゃべり方と歩き方は他の人と違っていた。そして、そんな彼のことを目の前で真似して、笑う友だちが何人かいた。
私は子どもながらに、それを見るのがとても嫌だった。小児まひの彼の気持ちを思うと、いたたまれなかったのだ。かといって、彼のことを庇う勇気はなく、友だちにもなれなかった。私もそれを遠巻きに見る、卑怯者の一人だった。いじめは差別であり、差別はいじめだ。彼はきっと心に深い傷を負っただろう。いつの間にか、彼は私たちの前から姿を消してしまったが、今思い出してみても、当時の子どもたちはなんて残酷だったのかと思う。
もう一つ、差別の存在を実感したのは、中学生の時のことだった。私はなにを間違えたのか、野球部に入ってしまった(暴力教師のスパルタ練習についていけず、中1の終わりにやめてしまったが)。その中に私とは違う小学校の出身で、とても野球の上手な先輩がいたのだが、ある日のこと、同じ野球部の同級生が練習の途中で私に耳打ちをした。「知ってた? あいつ〇〇〇〇らしいで」。私は〇〇〇〇という言葉を知らなかったが、聞いてみると在日韓国・朝鮮人のことだという。「蔑称」というやつだ。
私の住んでいたマンモス団地の小学校と違って、先輩の出身校の校区には古くてトタン屋根を葺いたような家が多かった。もしかするとそこに、在日の人が多く住んでいたのかもしれない。私は先輩が在日だと聞いて、触れてはいけない秘密を聴いたような気持ちになった。そして、その噂が広がってから、先輩と他の部員たちとの間に、目に見えない距離ができたように感じた。それが、在日韓国・朝鮮人という人たちが身近にいて、差別される存在であることを実感した初めての体験だった。
だが、私は幸いなことに、在日の人たちに差別意識を持つことはなかった。それは宮崎県都城市の田舎から出てきた、両親の影響が大きかったと思う。母親によると田舎では、そうした話を聞いたことがななく、関西に出てきて初めて在日韓国・朝鮮人や被差別部落の問題があることを知ったという。関西は歴史的背景があって、差別意識が根強く残っている。母親によるといまでも「そういうことを言う人がいるねぇ」とのことだった。私は母親から「人間はみんな平等」「差別したらダメ」と強く言われて育ったが、もし親が差別意識を持っていたら、私も差別者になったかもしれない。
そんな在日韓国・朝鮮人に対するイメージが大きく変わったのは、私が大学生になった1980年代中頃だった。急に「コリアタウン」ブームが起き、焼き肉屋さんやキムチなどを売る店が密集する大阪の「鶴橋」や東京の「新大久保」が人気になったのだ。それまで鶴橋と言えば関西では、失礼を承知で言えば、ガラが悪くて、怖いところというイメージだった。ところがコリアブームで、そのイメージは180度変わった。それには1988年のソウルオリンピックを控えて、政府とマスコミが一体になった戦略も絡んでいたと思うが、いずれにせよ私はこのブームを肯定的に捉えていた。
いまは学校でいじめ対策が進み、あからさまに障がい児を笑うような生徒は減ったと思う。また、実名で活躍する在日の有名人や「韓国が好きだ」と公言する日本人も増えた。むかしを知っている私からすると、隔世の感がある。だが、かつては「障がいがある」「在日韓国・朝鮮人」「あの部落の出身」というだけで、友だちからいじめられたり、社会から差別されたりした時代があったのだ。それが先人たちの様々な運動によって──中には逆にイメージを悪くするやり方もあったとは思うが──少しずつ克服されてきた。その歴史のうえに今があることを、我々は忘れるべきではない。
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