… … …(記事全文5,420文字)おかげさまで、このウェブマガジンの記事配信も100回に到達しました。毎週金曜日(土曜日になったことも数回ありますが)のお昼に、一切手抜きをせずに欠かさず配信を続けてきました。1年が52週ですから、もうすぐ丸2年になります。労力の割に儲からなくて困っていますが、ここまで続けてこられたのも、支援してくださっている定期購読者の皆様のおかげです。あらためてお礼申し上げます。これからも購読者の皆様への責任を果たしていくことを、あらためて誓います。また、読者が増えれば執筆活動の励みになります。私の考えにご関心のある方は、ぜひ定期購読をご検討ください。何卒、何卒よろしくお願い致します。
ところで、前回まで「新・医療亡国論」の連載を続けてきましたが、100回記念ということで連載を1回お休みし、今回は特別に「参院選」をテーマに、私が今、強く思っていることを書かせていただきます。一人でも多くの方に、無料部分だけでも読んでいただけると幸いです。
参政党の支持率が急上昇したことで、マスコミは神谷宗幣代表の主張をはじめとする同党の動向を急に追い始めました。同党は現在、神谷代表や候補者が「日本人ファースト」「高齢女性は子ども産めない」「終末期延命治療は全額自己負担」「極端な思想の人たちは(公務員を)やめてもらう」「自閉症など存在しない」「核武装が最も安上がり」といった、物議を醸す発言を次々に行って、メディアの注目を集めています。
それぞれどのように考えるべきか。どれも深く解きほぐさなければ簡単に結論の出ない難しい問題ばかりですが、なかでも私が一番違和感を持ったのが、参政党が今年5月付で公表した「新日本国憲法(構想案)」(以下、「創憲案」)でした。私はそれを見て、コロナワクチンに反対してきた我々の思いとは、大きくズレていると思ったのです。またお読みでない方は、ぜひ全文に目を通してみてください(参政党が創る 新日本国憲法(構想案)令和7年5月 参政党創憲チーム作成 https://sanseito.jp/new_japanese_constitution/)
もともと参政党は、コロナワクチン反対を打ち出して、支持者を集めてきた経緯があります。だからこそ、参政党を応援しているという人も多いはずです。しかし、創憲案を読んで、私はこの党が本気でコロナワクチンに反対してきたのか、疑問を持ちました。思い出してください。ステイホーム、ソーシャルディスタンス、時短営業、マスク着用、アルコール消毒、アクリル板、面会制限といった感染対策や、ワクチン接種が強引に推し進められたとき、なぜ私たちが抗議の声を上げたのか。それは、言われているほど新型コロナが恐ろしい感染症ではかったにもかかわらず、このような対策を「強要」され、それに従わないと理不尽な「排斥」を受けたからです。
コロナ騒ぎが世の中を席捲していた頃、居酒屋で飲んだり花見をしただけで非難され、素顔で歩いているとマスク警察に絡まれました。修学旅行を断念させられた小中高校生や、キャンパスライフを謳歌できなかった大学生もいました。さらには、2021年にコロナワクチン接種が始まると、様々なところでワクチン接種を「強要」されました。義務ではありませんでしたから、「打たない」選択も自由だったはずです。ところが、接種しないと実習に出らない、進学進級できない、仕事させてくれないといった理不尽が、至るところでまかり通ったのです。あげくの果てに、ワクチンを打たない我々は、「公衆衛生の敵」「集団免疫のフリーライダー(タダ乗り)」「反ワクチンのトンデモ」などと非難されました。
私はこのような社会を、コロナよりも恐ろしいと感じました。なぜなら、政府の方針に異を唱え、抵抗する者を排斥しようとする風潮は、政府に不都合な思想を持つ者や戦争に反対する人を「非国民」として吊し上げた、あの敗戦前の軍国主義の時代と瓜二つだったからです。「あんな時代はもう懲り懲りだ」。そんな先達の思いがあったからこそ、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、思想信条の自由、表現の自由などを保障する現行の日本国憲法は、「押し付け憲法」と揶揄されながらも、一定の支持を得てきました。読んだことのない人は前文だけでも読んで、参政党の創憲案と比べてみてください(日本国憲法 https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm)。
押し付けかもしれないけれど、その日本国憲法に守られて、日本人は自由な社会を謳歌してきたのです。一党独裁の隣国がどんな恐怖政治を敷いているのか、その恐ろしさも日本人はよく知っています。「二度と敗戦前のような暗黒時代には戻らないだろう」。私はそう高を括っていました。ところが、コロナ騒ぎによって、いとも簡単に人々が「全体主義」に飲み込まれていく。「あぁ、こうやって人々は自分から自由を手放し、進んで権力に服従するんだ」と私は強く思いました。
そして、もっとも憤りと失望を感じたのが、新聞・テレビ・雑誌・ネットメディア等々の「報道機関」に対してでした。敗戦後のジャーナリズムは、あの戦争の「反省」の上に成り立っていたはずでした。第二次大戦時、朝日、読売、毎日をはじめとする新聞社とNHKラジオは、政府による検閲を特に抵抗もせず受け入れて、「連戦連勝」というウソに塗り固められた「大本営発表」を右から左に垂れ流しました。それによって戦意を高揚し、国民を戦争に駆り立て、最終的に国内外で何百万、何千万という犠牲者を出したのです。
その戦争責任から報道機関も逃れられないという反省に立って、戦後のジャーナリズムの基本姿勢が作られていきました。すなわち、不偏不党の観点から事実に基づいて正確な報道をする、弱者の視点に立って社会正義を追求する、権力の不正・腐敗・暴走を厳しく監視する、そのためにも政府の検閲は絶対に受け入れない、言論の自由を死守するといった姿勢が、戦後のジャーナリズム精神の根幹にあったはずなのです。
政府が推進した過度な感染対策やコロナワクチンの強要によって、それに従わなかった多くの人たちの基本的人権が侵害されました。さらにワクチンをめぐっては政府と製薬会社との不可解な密約によって巨額の血税が浪費されただけでなく、接種後に健康被害を訴える人が多発し、命を奪われた人も多数いました。そして、ÝouTubeやツイッターをはじめとするSNSでは、ワクチンに疑問を呈する動画を上げただけでアカウントが削除されるような「言論封殺」がまかり通りました。まさに権力が暴走して人権や自由が棄損されたのです。これこそジャーナリズムが厳しく追及すべき大問題のはずです。
ところが、ほとんどの報道機関(とくに在京の大手テレビ局や新聞各社)が、この異常事態を無視しました。「公衆衛生」という名目の下に振るわれた権力の横暴に、見て見ぬふりをしたのです。それどころかワクチンに疑問を持つ人たちに「反ワクチン」のレッテルを貼り、「トンデモなデマを信じる頭のおかしい人たち」とする推進派の印象操作に加担しました。確かに、根拠の乏しい非科学的な主張やウラの取れない陰謀論を無批判にまき散らす人たちがいたことは否定はできません。しかし、接種後のほうが感染者や死亡者が増えた事実を見れば、コロナワクチンが「失敗」だったのは明白です。それに、予防接種健康被害救済制度の認定件数を見れば分かる通り、従来のワクチンとは比較にならない甚大な健康被害が出ています。コロナワクチンを批判するのは陰謀論でもなんでもありません。むしろ批判しないほうがおかしいのです。
にもかかわらず、ほとんどの報道機関がコロナワクチンの問題にフタをし続けてきました。自分たちが被害に加担したことを、認めたくない心理もあるのでしょう。しかし、こうしたジャーナリズムの堕落が、「マスゴミ」と呼ばれるようなマスコミ不信を深めていったのです。いかにX(旧ツイッター)をはじめとするSNSの情報を鵜呑みにしてはいけないと言ったところで、「そこにこそマスコミが報道しない真実がある」と思われて、仕方ないではないですか? ジャーナリズムだけではありません。「リベラル」や「立憲主義」を自称する政党や勢力も、コロナ騒ぎやワクチン強要で起こった人権侵害にダンマリでした。こうしたジャーナリズムやリベラル勢力の堕落が、参政党の支持者を増やす大きな要因になったのです。
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