… … …(記事全文5,155文字)前々回、前回と確認した通り、がん検診や健康診断に、総死亡率を下げる十分なエビデンスは存在しない。すなわち、これらをまじめに受け続けたとしても、健康で長生きするとは限らないのだ。にもかかわらず、一般の人たちだけでなく医療者までが、異常を早く発見して早く治療することを無条件に「善」だと思い込んでいる。それどころか、早期発見・早期治療には「過剰診断」「過剰治療」のリスクすらあるにもかかわらず、医学医療界はその不都合な事実を国民に周知しようとしてこなかった。
なぜ、がん検診や健康診断のデメリットが正直に伝えられないのか。それは医療者の多くが早期発見・早期治療は善だと洗脳されているだけでなく、自分たちがよかれと思ってしていることが、健康な人を傷つけていると思いたくない心理も働いているだろう。だから、いくらがん検診や健康診断に疑義が呈されても、そのエビデンスを見ようとしないし、なんとしてでも否定しようとする。それに加えて、以下のような後戻りできない事情もある。がん検診や健康診断が、すでに「一大産業」となっているのだ。
大手マーケティング・リサーチ会社の矢野経済研究所の調査によると、がん検診、住民健診、職域健診も含む「2023年度の国内検診・人間ドック市場規模」は、前年度比0.7%増の9440億円に上っている。つまり、がん検診や健康診断は、「1兆円産業」目前まで成長しているのだ(株式会社矢野経済研究所「健診・人間ドック市場に関する調査を実施(2023年)」2023年10月31日 https://www.yano.co.jp/press-release/show/press_id/3370#:~:text=2023%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%86%85%E5%81%A5,%E5%B1%95%E6%9C%9B%E3%82%92%E6%98%8E%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
当然のことながら、これだけ大きな産業になると、この仕事を生業にする人の数も多くなる。たとえば、「職域のX線胸部検診は無意味だからやめよう」と言ったとしても、これがなくなると放射線技師や放射線診断医、検診センターの事務員などの仕事が減ってしまう。さらには、検診車の運転手も要らなくなるだろう。もちろん、存在意義が否定されると仕事と収益が消えてしまうのは、民間の人間ドックや健診センターも同じだ。医師の中に「エビデンスのない検診・健診はやめるべきだ」と声を上げる人が出てきたとしても、生活がかかっている人たちから、激しい抵抗と吊し上げに遭うだろう。だから、そのような奇特な医師は、なかなか出てこない。
このように、早期発見・早期治療の虚構には経済的な利害も絡んでいるため、この洗脳を解くのは極めて困難となっている。それどころかこの虚構は、テレビ、新聞、ネットを通じて、ますます強化されている。その大きな洗脳装置となってきたのが、「疾患啓発広告」だ。たとえば今年、元SMAPの中居正広氏の女性問題が発端となり、スポンサー企業が一斉にフジテレビのCMを降りる事態に至った。その穴埋めに使われたのが、民間企業の出資で運営されている「公益社団法人ACジャパン(日本公共広告機構)」の広告だった。なかでも、筋肉芸人なかやまきんに君が出演する「なかやまけんみゃくん(検脈)です!」というCMが話題になったのを、覚えている読者も多いだろう。
心不全や脳卒中(とくに心原性脳梗塞)のリスクを高める心房細動の早期発見の重要性を訴えるのが、このCMの主旨だ。左手首に右手の指を当てる映像を映し出し、「健康な人も、毎日の検脈を」と訴えている。つまり、「自分で毎日脈を測りましょう。そうすれば心房細動を早期発見できる」と呼びかけているのだ。ACジャパンの協力でこのCMを展開した日本心臓財団は、このキャンペーンの意義について、次のように説明している。
「今回の広告活動を通じて、一人でも多くの方に『心房細動』のリスクと早期発見の重要性を知っていただき、家庭での検脈と定期的な健診が習慣になることで、循環器病の予防と健康寿命の延伸とにつなげていきます」(共同通信PRワイヤー「なかやまけんみゃくん(検脈)です! なかやまきんに君が『検脈』による心房細動の早期発見の重要性を伝える 7月1日より2024年度ACジャパン支援キャンペーンがスタート」2024年7月1日https://kyodonewsprwire.jp/release/202406172245)
だが、本当に一般の健常者が毎日自分の脈を測れば、「循環器病の予防や健康寿命の延伸」につながるのだろうか。心房細動のスクリーニング(検診)についてのエビデンスを調べてみると、2021年にスウェーデンのハーランドおよびストックホルムに住む、74~75歳の全住民2万8768人を対象としたランダム化比較試験の結果が報告されていた。対象の住民をスクリーニング群と非スクリーニング群とに無作為に割り付け、一次エンドポイント(虚血性/出血性脳卒中・全身性塞栓症・要入院出血・全死因死亡の複合)が低下するかどうかを調べた。
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