… … …(記事全文5,018文字)この1月末に、拙著新刊『レプリコン騒動 誰も書けない真実「反ワクチン」運動の功罪』(宝島社新書)を上梓する。昨日(1月9日)、最後のゲラ読みをして、あとは編集部に託した。自分で言うのもなんだが、非常に読み応えのある自信作ができたと自負している。260ページ超と新書としてはボリュームのある方だが、すらすら読めるはずだ。Amazon等で予約もできるので、是非ともご購入いただきたい。とくに「mRNAワクチン中止を求める国民連合」(以下、国民連合)に参加した人たちにも、目を背けずに「事実」と向き合ってほしいと願っている。
なぜ本書を執筆したのか。それは、ニュース沙汰になるような問題を引き起こし、ついにはMeiji Seikaファルマから法的措置を表明されるに至った「レプリコン騒動」の深層を書けるのは、わたしの他にはいないと思ったからだ。国民連合の幹部には、わたしが直接会って親しく話したことのある人も多かった。だが、その出現があまりに唐突だったことと、そこから発信されてきたレプリコン反対運動のあり方に、わたしは大きな違和感を持った。「コロナワクチン反対運動」のあるべき姿を、あらためて考え直すべきだ。そのためにも、コロナワクチンに反対するわたしたち全員が、反省と総括をする必要があると考えたのだ。
レプリコン反対運動のどこに違和感をもったのか。第一に、国民連合の活動家たちが、レプリコンワクチンの「個体間伝播(シェディング)」に強くこだわったことだ。「接種者の体内で増幅したレプリコンワクチンのmRNAがエクソソームに包まれて排出され、人から人へ、人から動物へとウイルスのように感染して広がっていく」という理論的な可能性が、まるで「既成事実」であるかのように広められていった。そして、「ワクチンパンデミックが起きて、人々が大量に死亡し、日本が封鎖される」などと、執拗に恐怖と不安が煽られた。
「個体間伝播のリスクは考えにくい、ましてやワクチンパンデミックや日本封鎖は言い過ぎではないか」というウイルス学者・宮沢孝幸氏や免疫学者・新田剛氏らの指摘があった。にもかかわらず、活動家たちはそれには耳を貸さず、それどころか「リスク矮小化勢力」「火消し隊」などと言って、宮沢氏や新田氏を誹謗中傷した。異なる意見があったとしても、自由闊達に議論することで、一歩でも真実に近づこうとするのが、科学者のあるべき姿のはずだ。にもかかわらず、科学者同士の真摯な議論は行われず、個体間伝播をめぐる意見の対立は、やがてコロナワクチンを反対する者同士の「分断」と「対立」をより深めることになった。
二つ目の違和感は、国民連合の活動がレプリコンワクチンの製造販売元であるMeiji Seikaファルマばかりを非難のターゲットにしてきたことだ。どんな健康被害が起こるか分からない新規のワクチンなのだから、安易な実戦投入を批判するのは当然のことだ。だが、これまで多くの健康被害をもたらしてきたのは、「ファイザー」と「モデルナ」のmRNAワクチンだ。にもかかわらず、国民連合の攻撃の矛先が、この両社にはほとんど向かなかった。「日本を守る」などと言いながら、世界的なメガファーマである米国のファイザーや、第二のコロナワクチンメーカーである同モデルナの責任は追及せず、世界的にみると決して大きくない国内企業ばかりを攻撃したのだ。
そして三つ目が、活動がどんどん先鋭化し、過激になっていったことだ。260万枚以上にも及ぶ大量のチラシ配布にとどまらず、定期接種を目前にした24年9月に入ると、国民連合はMeiji Seikaファルマ本社前で連日のように街宣活動を行うようになった。そして、明治製菓のお菓子やヨーグルトの不買が呼びかけられ、レプリコン接種者の受診拒否や入店拒否、ついにはレプリコン接種を表明した医療機関に抗議電話をかけて、診療妨害と言われるまで騒ぎが大拡大した。そうした活動をするよう国民連合が指示したわけではなかったとしても、個体間伝播の恐怖や不安を煽ったことが影響したのは否定できないはずだ。
そうした過激な活動が、ついにはMeiji Seikaファルマ側からの「法的措置」という逆襲を招いた。それによってわたしが一番危惧しているのが、「反ワクチン」はやはり「デマ」をふりまく「トンデモ」だとされて、言論封殺の口実にされることだ。昨年、政府は「新型インフルエンザ等感染症行動計画」の改定案を閣議決定したが、そこには「偽・誤情報」をモニタリングして、それが流布された場合にはSNS事業者に対応を求める旨が明記されている。もし名誉棄損裁判で衆議院議員の原口一博氏が敗訴すれば、SNSへの言論介入が本格化するおそれがある。だからこそわたしは、名誉棄損や業務妨害とされかねないレプリコン反対運動の過激化に警鐘を鳴らしてきたのだ。
そして最後に、これが今回読者にもっとも伝えたいことなのだが、レプリコン反対運動が政治的思惑やビジネス目的のために利用されてきたことだ。
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