… … …(記事全文3,092文字)●視野が狭くなる
人間というのは、窮地に陥るとこれほど視野が狭くなり、世の中の動きに関心を持つことや他の人を慮るという行動が出来なくなってしまうのだろうか。絶望的に自分のことしか考えなくなっている私がいる。「これではいけない」と自省するものの単調な日常を生きていると気分も落ち込み、硬い殻の中に閉じこもってしまう。そこに、毎日荒天が続く当地特有の閉塞的な環境が拍車をかける。
●親孝行とか責任感ではない
両親の介護を始めてから8カ月以上が経過した。はじめは気が張っていた。だが、旧稿でも書いたように、超高齢者であるが故のわがままや、これこそ「ザ・昭和」という考え方についていけなくなり、心身ともに疲弊するのが常態化している。「一人で両親の面倒を見るのは大変だ」「もっと公的支援を受けろ」という指摘は聞き飽きた。できる限りの支援を受けた上での話だ。親孝行とか責任感とか義理人情といった感情は、少しもない。ただ、両親が生き延びるための介護を無意識に無自覚に継続しているだけである。そのためのルーティンは出来上がっており、それを淡々と日々こなしている。
「そんな毎日が楽しいか」「自分本位でいいのか」と自問自答をする。楽しいはずがないし、そうならざるを得ない。まず、時間的な制約があること。朝昼晩と食事前には必ず家の台所に立たなければならないからだ。食後も同様に後片付けがある。「もっとポジティブな思考で事態を打開しろ」「施設へ入ってもらえ」というアドバイスもある。それが出来るのなら、すでに実行している。
●2025年問題 対策は「自助努力」
団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になる、いわゆる「2025年問題」というものが叫ばれている。多くの問題があるが、介護について言えば以下のとおりである。
「介護が必要な『要介護者』に認定されているにもかかわらず、施設に入所できない、適切な介護サービスを受けられないといったことが起こる」
「在宅介護の必要性も増すが、家庭内での介護は経済的な負担だけでなく、介護疲れによる精神的な負担も、家族に重くのしかかる」