… … …(記事全文4,418文字)今年も本日を含めて残すところ5日となった。年頭の1月3日で69歳になったことから、語呂合わせで今年のモットーを「Rock on」(すごい、最高だ)とすることにした。元日の能登半島地震で出鼻をくじかれた感があるが、何とか過ごしてきた。前半はそれでも勢いがあったものの、後半には失速して息切れしてしまった。そんな1年を振り返る。
● 1月
何と言っても元日夕方の大きな揺れには慄いた。これにより能登半島は壊滅的な打撃を受けた。政府や自治体の初動の遅さに疑問を持ったのは私だけではないだろう。未だに避難生活を余儀なくされている人がいる。驚いたのは、9月の豪雨災害があったとは言え、今週ようやく仮設住宅が全戸完成したというのだ。遅すぎやしないか。
この地震による死亡者は、直接死228人と関連死合わせて500人を超えるとされている。報道によれば、ここに来て関連死審査待ちが209人もいるというのだ。「地震が原因とはっきりするまで気持ちが整理できない」。審査を待っている遺族の悲痛な声である。医療体制の不備により病院を転々とするなど、原因は明らかであるはずなのに。長期にわたる断水、停電、ガスの途絶など環境は劣悪だった。また推進された「2次避難」で100キロメートル以上離れたところに身を寄せた人が最大で5000人超いた。長距離移動に伴う負担や2次避難先になかなか馴染めないことなどは容易に想像が付くはずである。
全国的に認知されているかは不明だが、新潟県も大きな被害に見舞われた。新潟市西区を中心に全壊97軒、半壊3632軒、一部損壊11061軒(6月17日時点)の建物被害が発生した。このほとんどは液状化による被害である。そして、液状化の被害地域は、1964年の新潟地震で液状化した地域とほとんど一致するというのだ。60年経って、教訓は活かされていなかったということだ。私も液状化対策関係の仕事をしていたので、住宅が密集した広範囲の地域で対策を取るのは非常に困難であることが分かる。数軒では用をなさない。最低でも100軒オーダーの土地で初めて成立する。近年の液状化対策の進化は目覚ましいものがあるだけに、歯がゆいところである。
避難先で丸一年目の正月を迎える人が多いことに胸が痛む。国が冷酷無比であることは、散々思い知らされてきた私たち家族である。余計に国の対応の酷さには腹が立つ。