… … …(記事全文4,453文字)●北朝鮮での「仕事」
弟が、雑誌「世界」で「拉致問題風化に抗して」と題する連載(隔月)を寄稿し、それを通して初めて知る事実が多いことは旧稿で触れた。同誌7月号と9月号では、「日本人拉致被害者に与えられた『革命任務』」という副題で北朝鮮においてどんな「仕事」をしてきたのかが記載されている。
●ターゲットは女性
私が帰国直後弟に聞いた限りでは、拉致の目的は「女性工作員」の養成であり、それを裏付けるように「ターゲットは妻の祐木子、俺はおまけだった」と弟は述懐していた。それが、北朝鮮当局の方針転換で北朝鮮工作員に対する日本語教育に変わり、その後は日本の新聞、雑誌等の資料の翻訳をしていた。この程度でそれ以上は尋ねたり、弟から話したりすることもなかった。
●そこまで書いていいのかい
ところが連載では、地名、組織名、人名などの固有名詞がこれでもかというほど出てくる。「そこまで書いていいのかい」とこちらが心配になってしまう。というのは、私も何冊か拉致問題に関して上梓しているが、事前に弟に見せることはしていない。「検閲」を受けるのを避け、自由に書きたかったからである。
●俺がすべて買い取る
ところが「奪還第二章-終わらざる闘い」(2005年 新潮社)に関しては、どういう訳かゲラが弟の手に渡っていて、出版直前になって弟から電話がかかってきた。「あの北朝鮮の人の名前は削除してくれ」「ここは表現が厳しいので和らげて」といった内容だった。「もう本屋に並ぶ段階だから手遅れだ」と言うと「回収できないか」と無理難題を押し付けてきた。「難しいな」と答えると「俺が全部買い取るから」とまで言ってのけた。結局そのまま出版されたのだが、当時はそこまでナーバスになっていた。その弟が現在、何の躊躇いもなく固有名詞を羅列し、情景も赤裸々に描写している。時間の経過により当事者がリタイアしたからなのも知れないが、それにしても気にならないことはない。
●「用済み」拉致被害者の扱い
7月号の記事では、拉致被害者の「『利用価値』が消滅すると」として次のとおり書いている。
「本来の拉致の目的からすると、1977年から1980年の間に北朝鮮対外情報調査部によって拉致された日本人のほとんどは、拉致後まもなく、もしくは1年ほどの間に、いったん『用済み』になった」
「工作員利用の目的で拉致された人は、秘密工作をさせるには適性がないか、信用できないと判断された時点で『利用価値』が消滅する。対外情報調査部は『用済み』の日本人拉致被害者の扱いに悩んだと思われる」
「当初の拉致目的とは違った、いわば『副次的』な目的に利用されることになる。言い換えれば私たち日本人拉致被害者には、『革命任務』と称して新たな仕事が強要されたのだ」
「1997年末から1989年頃までは工作員に対する日本語教育、その後2000年頃までは日本語出版物の翻訳や工作員教育のための資料作成、そして帰国するまでの2年半は資料作成に加えて、自分の住む招待所地区に対する『警備』をやらされた」
この記述からすると、工作員としての利用目的は、女性だけではなく弟などの男性にもあったことが分かる。なぜ、弟が帰国直後「俺はおまけ」と語ったのかはよく分からない。
●工作員への日本語教育
弟は合計12人の工作員に日本語を教えたという。一人ひとりの教育について詳細に綴っている。ここで当該工作員についてフルネームを示していない。まだ、若いからという配慮をしているようだ。
日本語教育を言われるがまま行ったものの、半ばあきらめ気分であったことが窺える。こんな記述があるからだ。
「現実問題として、彼らの日本語を『ネイティブ化』するなど、そもそも無理な話だった。私の考えでは、外国語を母語のように話せるようになるには、遅くとも10代前半には、正確な発音程度は身に付けておく必要がある。さらに学習環境もその語学圏に留学させるか、それに近い環境のなかで勉強させなければならない」
一方でこんなことを記している。
「私は12人の、それぞれ違った経歴と日本語のレベルを持った工作員に、日本語を教えさせられた。このうち、秘密工作にまったく、もしくはあまり使われないまま、秘密工作の第一線から外された工作員は10人だった。正直言って、この数字に私は安堵している。そして、残りの2人の工作員については、どうか悪質な工作に関与しないままリタイアしてほしいと願ったものだ」
「強要されたとはいえ、北朝鮮の秘密工作員の教育に助力したことに、怖さと後ろめたさを感じずにはいられなかったからだ」
蓮池透の正論/曲論
蓮池透(元東京電力原子力エンジニア)