… … …(記事全文4,153文字)●電力大消費地東京都はどう考えるか
前稿で現在行われている東京都知事選において、柏崎刈羽原発で発電した電気の大部分を消費する都民は再稼働についてどういう思いを抱いているのか争点にしてはどうかと書いた。しかし、私が東京都在住の知人に尋ねた結果や、地元紙新潟日報の現地でのインタビュー内容によれば争点どころか話題にも上がっていないようである。
そもそも柏崎刈羽原発がどこにあるのか知らない人がいる。知っていたとしても、その電力が長い送電線を通じて東京都へ供給されていることは意識していない。東京都で使用する電気がどこから来ているのか学校で教えたらどうかとも思う。だが、発電所の所在や送電ネットワークを事細かに教えることはない。東京電力側も供給セキュリティの観点から詳らかにしたくないのであるから致し方ない。
福島第一原発事故直後に、福島県から東京都へ電気が送られていたことを初めて知った都民が多かったのは事実だ。事故から13年が経過してしまうと、それも忘却の彼方へ消えてしまうのだろう。また、未だに多くの人たちが福島県から避難しており、多数の訴訟が提起され損害賠償等が求められている現実に少しでも思いを馳せてもらいたいものだ。
東京都の有権者の関心は専ら電気料金の高騰にある。「原発を動かして電気代が安くなればやればいい」とまだ原発の「コスト安神話」を信じ込んでいる人がいる。また、「都民としては、原発立地地域にリスクはあってもしようがない」と極端なリスク対効果論を語る人もいる。それは、人口1400万人を超えると東京都と比較すれば無理もないことかも知れないが、福島第一原発事故の被害や柏崎刈羽原発が事故を起こした場合の被害範囲を考慮すれば、あまりにも無慈悲な物言いではなかろうか。さらに、「どこにあるかは知らないが、ここに原発があるわけではないから」とNIMBYそのものの態度を示す人も。
いずれにせよ、都議選の街頭演説で柏崎刈羽原発のことを演説する候補者がいないため、周囲の関心が高まらないのは無理もない。本来であれば、電力大消費地と供給地域とがコミュニケーションを取りながら相互理解をしていくのが理想である。ただ、原発となれば話は異なってくる。元々水力であれ、火力であれ相互理解など存在していなかったし、多くの人たちが無関心なまま国の方針どおり進んでしまうのが常である。
もちろん東京都でも原発再稼働に反対する声は上がっている。しかし、その数は少なく、いわゆる「思想強め」の人たちからなのである。関心を持っているからこそ上がる声で多くの都民が無関心であることに多大な危惧をしている。
●電力供給地点は~最も原発に近い集落
柏崎刈羽原発に最も近い集落は大湊(おおみなと)地区である。原発の敷地北側の境界にある堅固な有刺鉄線バリケードから目と鼻の先で、そのすぐ向こうには5号機が見える、再稼働が予定される7号機からは1キロメートルも離れていない。そこには、12世帯約30人が暮らしている。
この地区は原発から最も近いという理由で、今まで県外から来る記者やジャーナリストを何人も案内したことがある。最近では旧稿でも書いたが、田中龍作氏を案内した。田中氏が原発方向を撮影していると、東京電力社員が理由も告げずに「撮影は禁止されています」とハンドマイクで「警告」してきた。無視していると、今度は「クルマはそこで待機しなさい」と「恫喝」が始まった。集会所には「事故時集合場所」「避難バス待合所」の看板が虚しく掲げられていた。
また、5年ほど前にも同じ集落へ別の記者を案内した。その記者は住民へインタビューを試みた。ほとんどが門前払いだったが、ちょうど玄関から出て来た老人に「再稼働には賛成ですか」と問うと「急いでいるから」と自宅前のクルマに乗り込んで立ち去ってしまった。他の家では、「小さい子が寝ているので」小声で応じた年配の女性に同じことを訊くと「そういうのは結構です」とだけ答えた。また、別の年配女性は「をういうことは分かりません」と迷惑そうに応じた。
匿名で賛成の意を示す人もいた。
「放射性物質が飛ばないように工事がされたと理解している」
「大湊の活性化につなげようと、先代の住民たちは東電との良い関係を築いてきた」
だが、実際には約40年間で大湊地区の世帯数は半減している。
再稼働反対派の住民の意見も聞いたという。
「地元住民には、内心は反対でも口に出せない、事実上の分断がある。それを表面化させないために、賛否を口にすることは『タブー』というより『マナー』という意識がある」
こういう状況は、旧稿で憂慮すべき状況だ何度となく警鐘を鳴らしてきた。
蓮池透の正論/曲論
蓮池透(元東京電力原子力エンジニア)