… … …(記事全文5,083文字)前稿で「退院する父を迎える我が家のバリアはできる限りフリーにするつもりである。しかし、最大のバリアは他ならぬ母なのかもしれない」と憂慮した。果たして、その通りになってしまった。よく、「高齢化するとともに言動が幼児化していく」と言われる。それならば、私たちにとって何の問題はないだが、母の場合は歳を重ねるごとにそれが「先鋭化」しており悩みの種になっている。
弟に言わせると、「天然記念(人)物」、「心理学研究にうってつけの『標本』」だという。これほど、応対が難しく、質の悪い、取扱注意な人間はそう多くはないと思う。そこで、本稿では、自分自身のことは棚に上げておいて、恥を忍んで具体的に愚痴を述べたい。愉快な話しではないが、身の回りに同じような人がおられるならば、どのように対処しておられるのか、伝授いただきたいとの意味もある。
●退院する父を迎えた母
2カ月以上の手術・リハビリ期間を終え、父は退院した。私と弟で迎えに行き、久しぶりの自宅への帰還となった。入院中に96歳の誕生日を迎えた父。退院祝いと兼ねて夕食を弟夫婦も交えてすると決めており、準備は弟の妻がすることになっていた。
家に入った父は歩行器を使いながら、弟とともにリビングへ向かった。弟に「久しぶりの再会は恥ずかしいかもしれないけど親父が帰ってきたよ」と告げられた母は、背を向けたまま、こう言い放った。
「何をやっていたのか。顔も見たくない」
聞いた弟は激高した。
「病院で苦しい思いをしながら、リハビリを頑張りここまで回復した人に『お帰りなさい』も言えないのか」
すると、母は逆上して畳みかけた。
「必要もないのに夜中に外へ出て骨折するのが悪い。自業自得だ。悪いのはこの人。そんなことを言う必要などない」
弟は、
「見損なった。人間としてな」
と声を荒らげ家を出て行った。
一方ならず動揺したのは父だったはずだが黙っていた。私は、最悪の事態だが、想定内と静観した。母を弟と一緒になって詰るのは、火に油を注ぐだけで、どちらかは冷静でいるという弟との「暗黙の了解」があったからだ。弟の言い分が理にかなっているのは言うまでもない。
●夕食でも続く口論
夕食は、いつもの時間より遅くなった。母はそそくさと一人で夕食を済ませた。完全に、遅くやって来る弟夫婦に対する「当てつけ」である。
弟夫婦が到着し、夕食が始まった。私の音頭で「親父退院おめでとう。そして誕生日も」と乾杯をした。母はグラスを持とうともしない。怒りが収まらない弟は、たまらず言った。
「乾杯もできないのか。ずいぶんと冷たい人だね」
「勝手なことをして迷惑をかけた。そんな悪い人に乾杯なんかできない」
と母。
人一倍礼節を重んじる弟だ。さらに怒りが高じ、口論の再開となった。
弟「いくら何でも冷血過ぎる。自分の夫という以前に人としてその言葉と態度は絶対に許されるものではない」
母「また、怒るのか。親に怒鳴り声をあげる息子がどこにいる」
弟「怒って当然だ。親父が気の毒でしょうがない。おふくろと親父とは血が繋がっていないが、俺と親父は血が繋がっているんだよ」
母「勝手に夫婦関係に口出しするな。どこの大学教授か知らないが」
弟「教授じゃない。一旦退職した特任教授だ」
母「どっちでもいい。先生気取りで生徒に怒鳴っているつもりか」
弟「大学は生徒とは言わない。学生だよ」
母「この人が、用もないのに夜、外に出て行かなければこんなことにはならなかった」
弟「もうその話は100回以上聞いた。いい加減にしろ」
母「何千回でも何万回でも言ってやる。悪いものを悪いと言っているだけだ」
妻に何度も「もう止めなさいよ」と促された弟は「もう手がつけられない」と口を閉じた。まったく泥沼状態である。それでも父は、
「俺が悪かった。申し訳ない。もう終わったことだから許してくれ」
と謝りつつも、
「おかあさん、せっかくのごちそうだ。食べなさい」
と皿を母に向けて差し出している。もちろん母は無視だ。だが、こういった父の涙ぐましい献身的な姿勢は今に始まったことではなく、おそらく結婚当時からのことだろう。その努力により、夫婦関係が維持されてきたのは容易に想像が付く。もしそうでなかったなら、私も弟もこの世に存在していなかった。
こうして、気まずい雰囲気の中でお祝いの夕食は終わり、弟夫婦は足早に帰宅していった。
蓮池透の正論/曲論
蓮池透(元東京電力原子力エンジニア)