… … …(記事全文2,984文字)ここ数日日記が相手しまいましたが…この週末から昨日に欠けて,先々週に体調不良で急遽取りやめになった離島磯釣りに行って参りました!
なんとか巨魚を…という思いで奄美まで行って参りましたが,海は大シケ.何とか登れた磯の上でも,凄まじい強風でなかなか厳しい環境.
それでも魚さんたちさえおられれば善いのですが,驚くべきことに全くもって魚の気配無し!!!!
丸二日釣りをしましたが,餌も全く無くなりません.
一度だけ竿先が反応した事もありましたが,その後も何もナシ.
今日は最悪だなぁと思ってあきらめかけていた最後の朝…糸がぐぐっと出ていくアタリ!
なんとか釣り上げ,たところ,ミドルサイズ(40センチ)のニザダイ.
あれこれ釣り方を変え続けて最後に辿り着いたかご釣りでリールの糸一杯流すという作戦が功を奏した格好に.あまりオイシイお魚ではありませんが,奄美の皆さんはよく食されるお魚とのことw
何とか「釣り師」としての面目躍如といったところで,有り難く持って帰った次第ですw
…というようなことをやっておりましたが、今日は令和哲学指南の締め切り日.
ということで,この釣りのことも思い起こしながら,こんな原稿,先程入稿しました.
是非,ご一読下さい!
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前回,哲学とは何かということについて,『今大学に存在するあらゆる学部で教えている学問の原点をアリストテレスは語ったのであり,そしてそうした彼が論じた物事すべてを…「哲学」と呼んでいるのだ』と解説さし上げた.つまり,哲学とはあらゆる学問なのであり,とどのつまり「考えること」それ自体が哲学なのだと解説したわけだ.
ではなぜ,そんな哲学を我々人類は手にしているのだろうか,つまりは,人はなぜそんなにあらゆる物事について考えてしまうのだろうか.
この問いについて,一般に哲学の始祖と言われるソクラテスは次のように指摘している…
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