… … …(記事全文4,221文字)フランス革命を批判した知識人として著名なのは、保守思想の始祖とも言われる英国人、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』ですが、フランス人のギュスターヴ・ル・ボンの『群集心理』もまた重要な書籍です。
たまたまル・ボンの次の言葉がTVで取り上げられているのを目にしました。
「群衆は、もっぱら破壊的な力をもって、あたかも衰弱した肉体や死骸の分解を早めるあの黴菌(バイキン)のように作用する。文明の屋台骨が虫ばまれるとき、群衆がそれを倒してしまう。」
この言葉は、例えばフランス革命の時、王政の圧政に対して不満を募らせた大衆が、その「怒り」に身を任せた暴徒と化し、フランス王室に蓄積され、保存されてきた様々な文化や芸術、宗教的資産を悉く破壊していった、という様相を表現しています。
つまり、群衆が、フランス文明という一つの「有機体」に感染した黴菌の様に機能し、フランス文明そのものを根底から破壊し、
「腐敗」
させていくという構図をルボンが描写したわけです。
ちょうど今、表現者クライテリオンでは、この「腐敗」をテーマにした特集を刊行していますが…
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CYPFFW17
今の日本の腐敗の源は、群衆にこそあると解釈することでできるでしょう。
ちなみにル・ボンの群衆新理論の要諦は、
「一人一人見れば、それなりに理性や良識を持っているが、
群衆の熱狂(あるいは空気)に巻き込まれると、そうした理性や良識の全てが吹き飛び、
群衆が持つ一個の「群集心理」に全て支配される。
その結果、一人一人なら絶対やらないような暴力的な行為を平然とやるようになる」
という話しです。
で、ル・ボンほ書籍『群集心理』は、その群集心理のメカニズムを子細に論じているという次第。
ちなみにルボンは社会思想家と言われる事がしばしばですが、社会心理学者としても有名であると同時に、「医師」でもありました。
ですからこの、「群衆」=「黴菌」という比喩(メタファー)は、医師の目で文明社会を一つの有機体と見なした上で、群衆の機能を観察すると、それはまるで「黴菌」そのものではないかという実態に、彼が思い至ったことを意味していると言えるでしょう。
黴菌、というものは「増殖」したり「活性化」したりするものですが、その点についてル・ボンは次のようなことを言っています。
「政治家の最も肝要な職責の一つは、古い名称のままでは群衆に嫌悪される物事を、気うけのよい言葉、いや少なくとも偏頗の無い言葉で呼ぶことにある。言葉の力は実に偉大であるから、用語を巧みに選択しさえすれば、最もいまわしいものでも受け入れさせることができる程である」
まさに、
・構造改革!(小泉純一郎)
・自民党をぶっ壊す!(小泉純一郎)
・大阪都構想!(橋下徹)
・コンクリートから人へ!(民主党)
等の特定の政治家や政党が言い募ってきたスローガンは軒並みそうですし、
・インバウンド
・SGDs
・働き方改革
なんていう政府や財界が昨今言い募ってきた下らない概念も皆そうですね。勿論、
・オーバーシュート
・感染爆発
・パンデミック
・アフターコロナ/ウィズコロナ
・ステイホーム
なんてコロナ期中に盛んに言われた言葉も皆、大衆の恐怖を煽ったり、自粛を強要したりするスローガンとして機能しましたね。
我々はそういう下らないスローガンに対して、それが如何に不条理なものかを明らかにするデータや論理を提示/展開し、理性的な議論を呼びかけ続けたわけですが、そんなもの、大衆、ならびに大衆を前提として政治勢力を拡大しようとする政治家達に届くはずもありません。
なぜなら、大衆は論理では無く、「気分」に翻弄される存在だからです。
ル・ボンは言います。
「およそ推理や論証をまぬかれた無条件的な『断言』こそ、群衆の精神にある思想をしみこませる確実な手段となる。「断言」は、証拠や論証を伴わない簡潔なものであればあるほど、ますます威力を持つ」
ホントに恐ろしい…これこそまさに、小泉純一郎氏が叫び続けた「構造改革」や橋下徹氏が徹底推進しようとした「大阪都構想」等のスローガン政治そのもの。こちらが論理やデータを提示すればするほど、大衆・群衆はこちらに対する怒りを増幅する、ということが繰り返されたわけです。
もちろん、彼らの断定は悉く間違っており、それが事後に全て明らかになっていきます。例えば、郵政民営化で分割された郵政各組織はまた、統合される議論が今進められている、なんてのはその典型です。
しかし、そんなこと、大衆の皆さんも、政治家の皆さんも、全く頓着しません。なぜなら、ル・ボンが言うように
「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、その代わりに忘却力は大きい」
からです。
…というのが、我々言論を展開する者達にとってみれば常識中の常識の認識なのですが、そういう我々ル・ボン的常識からすると、少々解釈しずらい男が一人います。
いわずとしれた、あの「岸田文雄」です。
彼はヒトラーの様に大衆を熱狂させることについても、小泉氏や橋下氏の様に大阪人や日本人の心をつかむことについても悉く失敗しています。
ですから彼は、いわゆる旧来から存在する典型的なポピュリスト政治家とは全く違う存在なのです。
ただし彼は、
・所得倍増!
・新しい資本主義!
・デジタル田園都市構想!
・物価上昇率を上回る賃上げ!
・グローバル・パートナー!
といった、「古い名称のままでは群衆に嫌悪される物事を、気うけのよい言葉、偏頗の無い言葉」を作りだし、それを実現すると何度も「断言」するという、ヒトラーや小泉氏や橋下氏と同様の大衆扇動家と全く同じ作法に則った言動を繰り返しています。
しかし、彼は全く支持されませんでした。それよりもむしろ、今や大衆に激しく嫌悪され始めています。
それはなぜなのかと言えば…
藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
藤井聡(京都大学教授・表現者クライテリオン編集長)