… … …(記事全文3,649文字)「隠岐」は、大海の中で外界から隔絶された離島に忽然と屹立する山々に、豊かで深い森と清らかな石清水を抱く地に、必然的に「神々」が宿る―――過去二回でそんな話しをいたしましたが、この地の美しく豊かな自然があるということだけが、古代日本で多くの神々が宿るに至った条件ではありません。
もう一つ重要な条件があります。
それは、その神々を「まつる」人々がこの地に生息することが必要です。
「神」というものは、自然と人々との融和によって現れ出でるもの。そこに人がいなければ、そこに「神」という概念は生まれ得ないのです。
そして、人々の活動が活性化されればされるほどに、その神々の力はより偉大なものとなり、人々の活動が衰退すれば衰退するほどに神々の力は衰えてしまう事になります。
ではなぜ、この隠岐の地に人が住み、ここが栄えたのか…
それにはいくつもの条件があります。
第一にこの地が、古代において重要な交通の要所だったのです。
日本に人類が住み始めたのはおおよそ4万年前くらいのことと言われています。
いくつかのルートで日本列島に人々が入ってきたと考えられていますが、その重要なルートの一つが、朝鮮半島を経由する大陸ルート(もう一つの重要なルートが、西南諸島からの海洋ルートです)。
そうしたルートは、人々が一方向だけに移動するだけでなく、歴史を経れば経る程に双方向の移動、すなわち「交易」のルートへと成長していきます。つまり、人々の人口移動だけでなく、様々な文化や技術、そして宗教が行き交うルートへと発展していくのです。
例えば隠岐の海岸に行けば実に多くの海岸漂着物があります。例えばペットボトルですが、その中には日本のものもあれば、中国語のものやハングル語のものが多くみられるのです。
これは、「対馬海流」の影響で、韓国や中国方面から、隠岐方面に対して、放っておくだけで色々なものが隠岐にやってくることを意味しています。
一群の古代人達は、この対馬海流にのって隠岐にまでやってきたわけです。
そして、隠岐の地まで来れば、島根半島が肉眼でも見ることができますから、隠岐にやってきた人々は容易く島根(出雲)の地に行くことができるわけです。
こうした朝鮮半島・隠岐・出雲の海路故に、隠岐は様々な人やもの、技術や宗教、文化が行き交い、発展していったわけです。
藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
藤井聡(京都大学教授・表現者クライテリオン編集長)