ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00178/2022050209261294056 //////////////////////////////////////////////////////////////// 藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~ https://foomii.com/00178 //////////////////////////////////////////////////////////////// 昨年、重鎮評論家で、当方の師匠の西部邁先生の先輩で、西部先生の処女作「ソシオエコノミクス」の出版企画を当時、雑誌編集長として担当された森田実先生から連絡があり、「今生きてる中では西部の事を一番古くから知る僕と、晩年、最後まで一緒におられた藤井さんとで、西部について語り合う本を出そうじゃないか」といってお声かけいただきました。 ついては、昨年の秋、西部先生について森田先生と対談をいたしました。その様子の一部はこれまで、 https://foomii.com/00178/2021110722532887078 等でご紹介して参りましたが、その編集に随分と手間取って参ったのですが、このGW中に全て仕上げてしまおうということで、今、その編纂作業を進めているところです。 あれこれ考えて見ると、あんなこともこんな事もあったなぁ、と感慨深く思い起こされてくるわけですが、今日は、そんな中の一部、とりわけ、当方が30過ぎの若い頃、西部先生がどんな師匠だったのか、という点について、素晴らしい師匠だ、っていう体のかなり良い方向からお話ししてみました(笑)。 きっと、自分自身が若い人に対してどう接していけばいいか、というヒントのようなものがあるのではないかと……思います。是非、ご一読になってみて下さい。 …… 【森田】藤井さんは言論人としても、例えば表現者クライテリオンの編集長などで活躍されていますが、やはり、国土強靱化だとかアベノミクスだとかは、言論人としての側面の活動だけじゃなくて、大学での研究活動の延長でもあるわけですよね。そんな藤井さんの研究活動と、西部さんの塾にいってらした体験とは、どんな風に関連されてたんですか? 【藤井】 やっぱり、塾に通い始めた30才前後の頃には、やはり、研究と西部先生の思想や言論っていうのはあまり直接関連するわけでなく、別々のものとして認識していた側面が強かったんですね。ただやっぱり少しずつ両者は重なって、関連しあっていく様になっていきましたですね。で、50を超えた今では、西部塾の流れにあるクライテリオンの編集と、大学での研究っていうものはほぼ完全に一体化しているイメージですね。 そもそも、西部先生とお目にかかった折りのきっかけも、「土木学会」の「合意形成」の議論にて原稿執筆をお願いした話だったわけで、しかも、僕の研究テーマの一つが「合意形成」でしたから、やはり出発点から深く重なりあう方向にあったんだと思います。 しかも、先ほどもお話し差し上げましたように、僕自身の研究ビジョンとして、学問というものはただ単に大学で仕事でやっていくようなものなのではなくて、「生き様そのものが学問」という様に感じていましたから……と言うか、本来ならば学者というものは本来、全員がそう思ってなきゃいかん、というのは、前提中の前提なんじゃないかと思いますが……いずれにして熊沢蕃山はじめ、皆、学問というものは生きることそのものであり、生きることは学問なんだと。他の例を挙げるなら、例えば福澤諭吉の『学問のすゝめ』も、もちろんそういう主旨で書かれていますよね。… … …(記事全文9,935文字)
藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
藤井聡(京都大学教授・表現者クライテリオン編集長)