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藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~

藤井聡(京都大学教授・表現者クライテリオン編集長)

藤井聡

明日、「大阪市」という一つの共同体を生かすか殺すかが決まります。 ~有権者の皆さん、絶対に、投票に行って下さい~
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藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~

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令和2年11月1日、大阪市廃止の是非を問う住民投票が行われます。

そこで問われているのは、何らかの構想、つまり何らかの曖昧で抽象的なコンセプトであありません。あくまでも、大阪市という自治体を廃止するか否かという極めて具体的な話です。

しかし、マスメディアでも日常会話の中でもこの住民投票は「大阪都構想」という名前で呼ばれ続けています。そしてその結果、有権者達は、今、ダメになりつつある大阪を蘇らせる構想に伸るか反るかを問われているかのような気分になってしまっています。

(その典型がこちら https://www.youtube.com/watch?v=mt-eOKY9tXM)

もうその時点で、この住民投票は本来有るべき姿、大阪市を廃止するのか否かという真実の話から大きく乖離してしまっています。

当方はこの問題についておおよそ10年間ほど関わって参りました。

その中で、大阪市民にとって大阪市廃止のデメリットが如何に激しい被害をもたらすのか、その一方で推進派が口にするメリットを一つ一つ検証してみればそれらが如何に信頼できないものであるのかを客観的な視点から解説し続けてきました。

しかし、当方はそうしたメリットデメリットを巡る議論とは全然別の次元で、この問題を捉えねばならないと思い続けています。

それは、大阪市という一つの有機体、生命体としての共同体を、「生かすか殺すか」という次元でこの問題を捉えなければならない、という思いでした。

例えば当方は、大阪都構想の危険性についての所見を学問的視点から自由に供出する機会に、当方から提供したのは次の様なものでした。

「『大阪都構想』と呼ばれる過激な行政改革は、あらゆる学術的視点から考えて「論外」としか言いようがない。

第一に、市の廃止は「大阪市」という一つの社会有機体の「死」を意味し、柳田國男が徹底批判した「家殺し」に他ならない。

第二に、それに伴って大阪市民が税の支払いを通して享受している厚生水準が大きく毀損する。

第三に、大阪市という大きな活力を携えた共同体の解体で、それによって支えられていた大阪、関西、そして日本の活力と強靱性が毀損し、大きく国益が損なわれる。

最後に特定公政治権力がこうした危険性についての議論を隠蔽し、弾圧したままに、特定の政治的意図の下、直接住民投票でそれを強烈に推進しようとしている。つまり、それはその中身も推進手続きも論外中の論外の代物なのである。」

この第二番目から第四番目までの所見は、有権者の客観的判断を支援する目的でマスメディアやSNSを通して繰り返し解説さし上げたものですが、いの一番に挙げた論点は、ほとんど解説することは有りませんでした。にも関わらずなぜ、その論点、つまり、

『第一に、市の廃止は「大阪市」という一つの社会有機体の「死」を意味し、柳田國男が徹底批判した「家殺し」に他ならない。』

という論点を、当方の所見の一番目に挙げたのかといえば、これこそがこの住民投票において、本来ならば何よりも大切な最重要ポイントであると考えていたからです。しかし現代日本の都市生活者にとって最も直感的に分かりづらい論点であり、なかか有権者の方に訴求できないのではないかと思い、ほとんど口にすることは無かったのです……。

そもそも大阪市というものを、少なからずの人々は自分とは関係のない「お役所」の様なものだと認識しています。しかしそれは完全に間違った認識です。大阪市というものは、大阪市民全員が構成する「自治体」あるいは「自治共同体」と呼ばれる、一個の有機体、生命体としての「共同体」つまり「コミュニティ」なのです。

自治体・自治共同体という言葉にいくつかの英単語が対応しますが、そのうちの一つが「autonomous community」(オートノマス・コミュニティ)というもの。これは、直訳すれば、自律的な共同体という意味です。つまりそれは第一に、「共同体」なのであって、第二に、その共同体は、他者から支配されたりコントロールされるのではなく、自律的に自由に活動できる存在だというわけです。

つまり、自治体・自治共同体というのは、独立した一つの有機体、生命体としての「共同体」なのです。

個人主義が濃密になってしまった現代日本人にとっては、共同体というものが何かが分かりづらくなってきているものと思いますが、そんな現代人でも最も分かり易い共同体の具体例が「家族」です。

家族というのは、両親や子供、祖父母らはそれぞれ別々の個人ですが、それとは別の概念として一つの「チーム」を構成しています。

個人主義的な傾向が強い現代人でも、さすがに家族を一つのまとまりと考え、その家族を守りたい、家族を発展させたいなどと感じたり願ったりするのは当然のことと見なされています。

つまり、個人とは別の次元で「集団」という概念が存在し、その「集団」という概念は、個人を単純に足し合わせてできあがるものとは全く別次元の存在として捉えられているのです。

例えば、当方の家族である「藤井家」は、5つの個人で構成されていますが、その5人を単純に集めてきて横に並べてできあがる様なものでは有りません。

父と呼び母と呼び、兄と呼び姉と呼び弟と呼びながら一つの有機的なチームを構成して始めて「藤井家」が成立しているのです。

しかも今の「藤井家」は、当方の父母が作っていた「藤井家」があり、その父母が作っていた「藤井家」もまたその父母が作っていた「藤井家」から引き継がれたもので、さらにその源流は四国の高松で江戸期から暮らしていた「藤井家」から来ています。そしてこれからこの藤井の家を長男や次男が引き継ぎ、おそらくはその子供達の子供達がさらに「藤井家」を引き継いでいくものと思います(少なくとも当方はそう願っています)。

こうしたものこそが「家」であって「共同体」なわけです。それはさながら、一人の人間の様に、一つの有機体であり、生命体と見なしうるものなのです(集団には生命が宿るという理念は、生命の概念を哲学的に定義したハーバート・スペンサーが明確に定義しています)。

つまり、「大阪市」というものもまた、そういう一個の有機体、生命体としての「共同体」なのであり、それもまた一つの「家族」のようなものなのです。

大阪の「大阪らしさ」、あるいは、「大阪のアイデンティティ」というものは、実はそういう「大阪市という共同体」があってのものだったのです。もちろん、大阪府という共同体もあるわけですが、そのコアにある大阪市は、大阪府とは明確に異なる一個の実態としての共同体なのです。

それは横浜市と神奈川県が全く違うことと同じじであり、
神戸市と兵庫県が全く違うことと同じなのです。

ただ、大阪市の場合は、大阪府と名前が同じである分、大阪市の共同体があるという事実に思いが至りにくいわけです。

しかし、大阪府の周辺部にある千早赤阪村や岬町や能勢町をイメージすれば、それが大阪市とは明確に異なる共同体であることがおわかり頂けるのではないかと思います。

そして、そんな大阪府とは異なる大阪市が、道頓堀あたりのミナミの町をつくり、梅田あたりのキタの町をつくったのです。天王寺に天王寺公園をつくり、天王寺動物園をつくってきたのであり、御堂筋の道路をつくり、御堂筋線や堺筋線の地下鉄をつくってきたのです。そして子供達の教育のために市立小学校、市立中学校をつくり市立高校をつくり、市立大学をつくってきたのです。

これらのまちづくりや人づくりは「大阪府」という共同体のオートノミー・自律性・自治によって進められてきたのではなく、あくまでも「大阪市」という大阪府とは異なる一つの有機体、生命体としての共同体が進めてきたものなのです。

そうしたまちづくり、人づくりを進めるにあたって、過去の「大阪市民」達は、一つの共同体「大阪市」の一員として生きてきた大阪市民達の先人達に思いを馳せつつ、その時の同胞の大阪市民達を互いに慮り、そして、子々孫々の大阪市民達の幸福を願いつつ、オカネを出し合い、汗をかき、侃々諤々議論しながら、時に笑い、時に真剣に意見を戦わせながら、一つ一つの取り組みを積み重ねてきたのです。

そうやって、今の大阪、関西、西日本の中心地である大阪市エリアを、大阪市民達がつくりあげてきたのです。

それを潰すだなんて……僕はそれは、一人の人間の命を殺める以上の凄まじい罪だと本能的に認識しています。

まさに家殺し……当方のコメントにも記載した通り、民俗学者・柳田国男は、そういう一つの生命体、有機体としての「家」という共同体を殺してしまう行為は、一人の人間を殺めるよりもさらに罪深い大罪なのだと論じたのですが、当方はまさにいつもそう感じています。そして、その視点で言うなら、関西、西日本、そして日本を支えてきた大阪市という巨大な一つの大きな家族である「大阪市」という有機体・生き物としての共同体を「殺める」のは、人殺しよりも家殺しよりもさらにおぞましい最悪の犯罪的暴挙だと感じています。

でも、そういう風に考える人が、今は本当に少ないのが現状です……。

それは、生き物というのは、個々の生き物であり、一人一人の人間であって、それ以外に命など宿ってはいないという風に、現代人は、特に都市部の現代人達は思い込まされているからに他なりません。

しかし何度も繰り返しますが、一人の人間が生き物であり命を持つように、一つの家も命を持つ生き物であり、そして、一つの自治体・大阪市もまた命を持つ生き物であるというのが実態なのです。

もちろん、それを本能的に分かっている人達も、この大阪市にはたくさんおられます。

だから彼等は、「大阪市を潰さないで」という思いを持ち、徹底的な反対運動をしているのです。

それが証拠に、我々の社会学調査が明らかにしているように、大阪市に長く住んだ人ほど反対し、短くしか住んだ事の無い人ほど賛成するのです。

つまり、大阪市という一つの共同体の外からやってきた「よそ者」達が、大阪市という共同体を殺してしまうことに対する違和感を持たず、危機として都構想に賛成しているという傾向があるのです。一方で、大阪市という一つの共同体に自らの根を張る、リアルな大阪市民達が、自分達の共同体を守るために大阪市廃止に反対をしている傾向が強いのです

したがってこの都構想を巡る対立は、共同体意識で結ばれたリアルな「大阪市民」と、大阪市在住の「よそ者」との対立であるという「側面」があるのです。

繰り返し紹介しますがこの動画はまさに、それを象徴しています。
https://www.youtube.com/watch?v=mt-eOKY9tXM

既に基礎自治体が戦前の中央政府に解体された東京を除けば、大阪は、日本最大の大都市です。そしてそんな風にして最大の大都市になったが故に、共同体としての大阪市民とは異なる大量の「よそ者」達が大阪市に暮らし始めています。したがって大阪市はもう既に、かつての大阪市からは変質しつつあるのあり、それが、横浜市や名古屋市や京都市や仙台市等と根本的に異なっているのです。

本来なら都市という生き物は、よそ者を受け入れ続け、その都市に同化させ続けていく力を持つものなのですが、あまりに急激に大量に外部を受け入れ続けると、その都市の同化能力を凌駕し、その都市のアイデンティティの崩壊を導き始めることになるのです。

だから、横浜市や名古屋市などの多くの住民達は、彼等の潜在意識の中で、それぞれの政令市という一つの生き物としての共同体の一部を構成する構成員だという事を理解し、自分の「家」である自治体が解体され、無くなることに対して本能的な悲しみの念を持っている一方、近代化し過ぎ、外部を受け入れ続け過ぎ、衰弱しつつある大阪は、そうした「共同体意識」が年々相対的に希薄になってきたのです。

だからこの「都構想騒動」なるものは、そうやって共同体意識が希薄化していった一つの帰結として、ついに本当に共同体を解体するか否かというところまでやってきてしまったことを意味しているのです…。まさに今、近代都市化が進み、人口流入が激しく進み、その帰結として、大阪市としてのセルフ・アイデンティティが失われつつあるのです…。

この近代日本において、江戸期までの浪速の文化を引き継ぎながら長い長い間生き続けてきた、一つの生命体である「大阪市」は、このまま、「殺されて」しまうのでしょうか、それとも「生き残る」ことができるのでしょうか・・・。

僕は、子供の頃からこの大阪市という一つの共同体の側で生まれ、ご近所最大の街としていつも足繁く通い、高校時代から30歳でスウェーデンに留学に行くまでの10年以上の間、一宿一飯という言葉では語り尽くせぬほどにお世話になり続けたこの大阪市という共同体が生き続けることを、心から祈念しています。

しかし残念ながら、当方はこの大阪市を生かし続けるのか殺してしまうのかを直接決める権限を持ちません……しかし、こうして大阪市民の皆様に当方の言葉を届けることはできます。

命というものは何も、一人一人の人間にのみ宿るものではないのです。

共同体にも、つまり、家にも自治体にも、そして大阪市にも、一つ一つ、命が宿っているのです。

大阪市が生き残り、これからますます旺盛に発展し、活力みなぎる一個の生命体としての共同体となる未来を、心から祈念したいと思います。

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