二度目を見ると、初回は気づかなかった新たな発見があった。それは久石譲の音楽である。映画の前半で何か所か効果的に耳に入るが、特に印象深かったのは、眞人が『君たちはどう生きるか』の本と母親が遺したメッセージを見つけ、それを読み耽る場面で流れるピアノの旋律である。感動した。幽霊塔からアオサギに導かれて下の異世界に流れ落ちた場面でも、ピアノが演出的に奏でられ、出現した海の風景の情感を説得する。冒険ファンタジーの新展開への移行を観客に説明する。異世界に入った後は、ピアノにストリングスが絡まった音楽へと変わる。そう、音楽がナレーションをしているのだ。ジブリ作品では一般的な手法かもしれないが、特に今回の新作では、久石譲が宮崎駿と完全に一体になって場面進行のナレーション役を務めていた。 それが二回目の発見だった。二回目の感想は初回とは異なるもので、初回は前半がやや退屈で、後半のジブリらしいスピード感あるファンタジーの見せ場に価値を感じていた。が、二回目の感想は逆で、前半の方に制作の丁寧さと緻密さを感じて満足を覚える。後半のファンタジーに不満を感じた。不思議なものだ。一回目と二回目で感想が変わる。こうなると、三回目を見ると、新しい感動があるかもしれないという気分に誘われる。ジブリのファンが何度も新作を観に映画館に行くパターンが、昔は意味が分からず、お金の無駄遣いに見えたが、今回ようやくそれが納得できた。そして初回の感想はただ満足と称賛だけだったのが、二度目を見ると後半のファンタジーの物語の粗さに気づく。この点は、今作が集中的に批判されている点だと思うが、やはり気になる。 物語の繋ぎ方が粗く、分かりにくさが残るのを否めない。大叔父の存在と説教が腑に落ちにくい。13個の石で世界のバランスを保っているという言説も、直截には心に響かない。大叔父とインコ大王の関係も疑問が残る。大叔父はこの物語全体のキーパーソンで、ミステリーの中心人物なのだが、言葉にエッジが利いておらず、曖昧で不安定なキャラクターで終わっている。大叔父の世界が崩壊すること、眞人がナツコを救出して異世界から脱出できること、最後は全てがハッピーエンドで終わること、等々は、観客は最初から想像でき了解できている。だから、安心して結末への着地を見守るのだが、やはりプロセスが大雑把で、「千と千尋」など他作品と較べても展開が雑な感覚は残った。産屋のナツコと出会う場面で、白い紙か布が舞って纏わりつくが、発想と演出に異存が残る。 こんな厳しい意見がある。 https://assets.st-note.com/img/1690338227494-ULbzrLvmqW.png?width=800… … …(記事全文3,450文字)