『らんまん』ブームで高知は観光客がやたら多く、レンタカーの予約が取れなかった。こんな経験は年末年始でもない。ヤフートップの話題一覧を見ても分かるとおり、日本中が『らんまん』の感動に浸って毎日を送っている。ご当地の高知の熱狂ぶりがどの程度か、いとも簡単に想像できようというものだ。帯屋町を歩く人も多かった。日曜市はすっかり全国的な観光地になった。地元の買い物客より観光客が多く、錦小路通か黒門市場の如き様相を呈している。結構なことだけれど、こうしたマスコミ演出のバブル景気は間もなく終わる。3ヶ月後には笠置シヅ子の香川県が虎視眈々と出番を待っている。観光宣伝の計画と準備に余念がない。バトンタッチのときが来る。全国を席巻し圧倒した『らんまん』の興奮も、5年経てば過去のものとなる。 帰り際、いつものように「司」の空港店に立ち寄った。料金が高すぎるのが難点だが、私のお気に入りの店の一つで、つい散財を許してしまう。東京と高知の半々の匂いのするところがいい。都内にも土佐料理の店はあり、昔は赤坂の「ねぼけ」と池袋の「土佐藩」へよく通ったが、夜は会社の接待客が多かったりして、ビジネス空間の雰囲気が濃く、空港の「司」のようには寛げない。ここに座ると必ずのれそれを注文する。小鉢で700円。二口か三口で終わる。のれそれは祖父の味だ。まだ大学生だった頃、40年以上前、市内に一軒、初めて寿司屋が開店したとき、祖父が歩いて連れて行ってくれた。あの店も、数十年間、市中心部で繁盛して、橋本大二郎がわざわざ夫妻で来るとか言って自慢していたが、結局、大将が年をとったのか閉店になった。 「のれそれはあるか」という感じで、若い大将を相手に祖父は粋だった。これは青ぬた(葉にんにくを味噌と酢であえたもの)で食べるんだよと、かわいい孫に教えてくれた。空港店ののれそれは、残念ながら酢醤油で提供される。東京と高知の半々の店だから、やむを得ないかと思う。祖父は料理が得意で、庭木や盆栽など多芸多趣味の人だった。特に資産もないのに人脈が広く厚かった。私と似ていない。受け継いだのは政治思想で、田中角栄と大平正芳が大好きな人だった。負傷した上海戦の激戦の故地を再訪することを願い、中国の人々に謝罪したいと常に言っていた。上海の古戦場へは足を踏み入れてないが、謝罪については孫が中国へ行って代役を果たした。ニールマーレ事件が片づいたら、祖父の戦友が多く死んだ羅店鎮の「白壁の家」跡へ行きたい。 NHKの『大地の子』を見せたかった。ドラマで仲代達也が言うような話を、幾度も孫の私に言って聞かせた。正義感の強かった祖父が生きていれば、おそらく何人か仲間と一緒に新居のニールマーレに乗り込み、眦を決して談判しただろう。市から出て行ってくれと。返す刀で、市役所とNPO法人の責任も手加減なく追及しただろう。放置しなかったはずだ。私が今回高知に帰ったのは、前々回の記事に書いた政治を実現に運ぶためである。政治とは、ニールマーレ事件の解決に向けての第二戦線の確立であり、土佐市民が自ら「真相究明の会」を立ち上げ、情報を集めて議論し、政治に働きかける積極的な市民運動を興すことである。市民が立ち上がって直接行動しないとこの問題は解決しない。事件の加害者に責任をとらせることができない。祖父なら確実に行動しただろう。… … …(記事全文4,005文字)