カンニング竹山のニュース番組に出演して、解説者としてぜひ言いたかった論点は三つある。一つは、土佐市と新居をめぐる堤防の歴史であり、野中兼山による在郷町の建設と、それによって水害の犠牲を強いられる境遇になった新居地区の苦難の400年である。この問題は、前回の記事で簡単に説明した。古代の続日本紀にまでさかのぼって、あるいは渋沢龍彦の小説に言及して講義したかったが、冗長な蘊蓄の披露になるので省いた。私自身は、土佐市の歴史を語らせたら上位30人に入る一人だという自負を持っている。誰にも負けない。土佐市に初めて来た人間に「現地の取材」がどうたらと、噴飯きわまりなく、論外もいいところだ。知者は言いがかりや誹謗中傷は相手にせず。大人が幼児を相手に喧嘩してはいけない。 二つ目の論点はもっと重要である。実はこの問題があったから、私はどうにもならなくなってあの記事を書いた。それがなければ、傍観者の一人として第三者的な立場で軽くツイッターでコメントする程度に止まっていただろう。今、私はニールマーレ反対派の筆頭である。あの店長の告発ツィートを厳しく弾劾する立場にある。大きな観点から、私はあの「告発マンガ」を一つの刑事犯罪だと捉えている。行為は過失かもしれないが、計り知れない巨大な被害を土佐市に出した。爆破予告・殺害予告・園児誘拐脅迫のテロの連鎖が惹起され、市民は恐怖に怯えた。全国からの苦情とアクセスで土佐市のサーバーは落ち、職員は嫌がらせ電話への対応に追われた。市の観光PR活動は停止し、市の移住事業は衝撃で麻痺した。 今も、読売が記事を書き、ヤフコメ欄は土佐市とNPO法人への批判と怒号で埋まっている。「告発マンガ」の発信とライターの偏向記事の影響で、店長への同情と擁護が主流となり、NPOと土佐市をへの憎悪が「正義」となった。その結果、土佐へのふるさと納税はやめろという反応が多数となり、こんな市に協力隊で移住してはいけないという意見が「正論」となった。小さな市だ。市の経済的マイナス影響(風評被害)は想像を絶する。けれども、もっと重大なのは土佐市の名誉の問題であり、これから東京に出て暮す土佐市出身者に押された烙印だ。履歴書には出身地を書かないといけない。お付き合いして結婚したいと思った相手には自分の出身地を言わないといけない。そこで嘘は言えない。自虐と赤面以外に何があるのか。 私が竹山の番組で提起したかった論点の二つ目は、一つ目よりも重要で深刻な問題だ。そしてそれは、私があの記事を上げた動機の核心をなすものでもある。正直に説明したい。そして、以下に記す情報はネットには一度も上がってない。土佐市の市民はみんな知っている事柄なのにネットには上がらない。どれほど市民が「面倒なことに関わりたくない」と逃げ、ここで迂闊に目立って市長選の後に累が及ぶ危険を怖れて保身に徹しているかが察せられる。小さな田舎だ。無理もない。ネットで勇気を出して逆告発した者は、必ず新市長側から摘発されて報復されるだろう。指をさされて孤立する。子や孫への影響を恐がる。だから黙って、店長を礼賛する空気に追随し、フリーライターを持ち上げる世論に同調する態度をとっているのだ。… … …(記事全文4,674文字)