先週26日、東京から四国の限界集落に移住して失敗した男性と家族の件が報道され、ネットの中は一日中この話題で騒然となった。当日は他を圧倒してこの問題が関心の主役となり、ツイッターのトレンド欄に「移住失敗」と「限界集落」のキーワードが延々と浮上し続けた。ヤフーのリアルタイム検索のトレンドも同じ。記事を上げたのは朝日新聞である。何としてもネット配信の購読者(サブスク)を増やそうとする朝日の思惑と鋭意が透けて見える戦略的な投擲だったが、朝日の狙いどおり、朝からネット界隈の井戸端はこの問題一色となり、日が暮れるまで熱を帯びた侃々諤々の時間が流れた。朝日は地名等を匿名にして伏せていたが、すぐに愛媛新聞の記事が掘り出され、新居浜市別子山で起きた事件だと判明する。 朝日の記事に付された2枚の山間地の写真は、私にとっては幼少期の原風景そのものであり、とても他人事とは思えず、井戸端の群衆を搔き分けるように渦中に入り込み、検索エンジンを誰よりも強く押し回し、事情を確認して真相を推測する作業に没頭するところとなった。最初にまず言いたいことがある。それは、この事件に対する井戸端俗衆のシニカルな見方に対する違和感だ。すなわち、最初から限界集落への移住など試みるのは無理で、能力的に無謀で、県庁所在地あたりにしておけば成功できたのにという醒めた見方である。この感想が「正論」として固まっている。この俗論が多数意見として支持を受け、この問題への一般的世評として定着している現状がある。私はこの愚論の風靡に抵抗を覚える。衆愚的な、低俗で間ぬけな「理解」だと苛立つ。 ■ 方向性の対立と政治的排除 そうではない。違う。この男性と家族は志が高かったのであり、限界集落への移住という高い目標を持ち、大きな課題を達成してやろうという野心を持っていたのだ。この別子山という限界集落に住み暮らし、地域活性化が陽の目を見る構想を抱き、自信と抱負を持っていたのである。誰でも移住に成功できるような場所を選ぶのではなく、困難な限界集落こそを選んで成功させ、廃村が必然の最過疎地を甦らせる夢を描いていたのだ。つまり、志のある若者がアフリカの無医村に行って医療者として身を立てるように、限界集落の救世主となる物語を作ろうとしていたのだ。せっかくの一度きりの人生なのであり、東京を捨て、教職を捨て、家族と共に人生の決断の旅に出るのだから、物語を作るチャレンジをしなくては意味がない。単なる移住が目的ではなかった。 何があったのか。どうして一年で挫折したのか。経過については本人が動画を制作配信して説明している。愛媛新聞の現地記者の記事があり、客観的に書かれていて、背景を容易に想像できる。そこには地域の顔役の存在があり、「地域おこし協力隊」という行政の制度と組織があり、補助金の政治構造があり、簡単に言えば既成政治と衝突して34歳の男性は排除された。村八分にされて追い出された。衝突の中身は、本質的には地域おこしの方向性の違いだ。それが真相だと私は直観する。男性は古民家再生を地域おこしの中軸に据え、ライフスタイルの文化的魅力をネット動画で宣伝し拡散することで来訪者を増やし、賑わいを創出することができると考えていたのだろう。その活動に時間を無駄にしたくなかったのだ。一方、顔役のボスの方には、「別子山未来プロジェクト」という既存事業体があった。… … …(記事全文4,950文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)