■政治家としてゴルバチョフを回顧するとき、忘れられないのは、民衆との対話の姿である。映像を見ながらとても驚かされ、感激させられた。ゴルバチョフは実際に民衆の中に進んで入って行った。歩いて抗議者の群れと対峙した。ロシアは決して(過去も現在も)治安のよい国ではない。そのとき、88年頃だったと記憶するが、ソ連経済はマイナス成長の縮小循環に陥っていて、深刻な経済危機に襲われていた。給料の遅配欠配が各地で相次ぎ、政府への国民の怒りが沸き起こっていた。ペレストロイカは国内経済の面ではうまくいかず、逆に経済全体の破綻と崩壊の様相を呈していた。 そうした民衆の不満と憤懣の渦の中に、ゴルバチョフは自ら飛び込み、自己の信念と方針について説得を試みていた。群衆と隙間なく身を接し、唾を飛ばし合い、揉みくちゃにされる状況で、自らを激越に批判してくる人々と向き合った。路上で無名の市民を相手に喧々諤々の討論をした。警備も何もあったものではない。書記長だからソ連のトップである。よくこの行動ができるものだと、テレビを見ながら私は興奮し、危険を顧みず対話の政治を行う指導者の勇気に感嘆した。ゴルバチョフは、まさにこうあって欲しいと願う政治家の像を見せ、若い私を魅了した。社会主義とは理想主義である。 ■その後、「ワーキングプア」の問題の折だったと記憶するが、左派の集会に足を伸ばし、野党の幹部の前に進み出て、果敢に建議具申に及んだことがある。福島瑞穂を相手にしたとき、どんな経過と顛末になったかは、過去のブログで書いたので省略する。ご存じの読者も多いだろう。彼女は『どきどき日記』で妙な釈明をしていた。小池晃のときは、いきなり無礼に「おたく、誰?」と言い返し、卑劣な態度で逃げて行った。市民が真面目に質問と提案を試みているのに、小池晃は全く耳を貸そうとしなかった。この二人との体験で幻滅した後、私はかかる民主主義政治の模索と実践を中断した。 ゴルバチョフだったら、その場で何十分でも議論できただろう。今、そうした姿をかろうじて見せているのが山本太郎で、その点で評価できる。無名の市民でも、批判者でも、路上のミニ集会に紛れ、その場で突発的に意見を発せられる。山本太郎はそれを聴き、上手に応答するダイアローグの技能を心得ている。それを一つの持ち味にし、辻説法の見せ場にしている。大したものだ。逃げず疎んぜず聴くことができるかどうか、飛び込みを遮断せず対話に応じられるかどうか、そこが民主主義の政治家の資質が問われるポイントだ。度量がないとできないし、自信と知恵がないと対応できない。ゴルバチョフは理念型だった。… … …(記事全文4,378文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)