■ゴルバチョフが91歳の生涯を閉じた。年齢からすれば長寿を全うした人生とも言えるが、もっともっと長生きして欲しい人だった。最近も核兵器の問題について声明を出していたし、昨年末も、ウクライナ問題で米ロが緊張するさなか、対話の重要性を説くメッセージを発して注目されていた。世界政治における現役の要人であり、影響力のある政治家だった。重要な局面で大事な指摘や警告を発してくれる人であり、耳を傾けて意見を聴くべき人だった。特に平和について頷ける発言が多かった。真摯であり、率直であり、世界の市民の意念が代弁されていた。 世界が民主主義体制と権威主義体制の二つに割れ始めている、と米欧西側は現状を定義し、自らの陣営を絶対的正義であると正当化する。そして、権威主義陣営と名指しした側(中国・ロシア・イラン等)を敵視して打倒と殲滅に血眼になっている。だが、世界の多くの国々とそこに住む人々(アフリカ・アジア・中南米)は、その概念と構図の埒外にあり、煽られる対立と緊張を不毛なものとして捉えている。けれども、西側が自画自賛して咆哮する「普遍的価値観」に対して、埒外で辟易としている人々の、政治的な意思や希望を代弁するリーダーがいない。西側のイデオロギーの説教に対抗する有力な言論者がいない。 ■ゴルバチョフは、その要素と条件を持った数少ない人物だった。日々布教され、絶対化され、押し付けられていく西側の「普遍的価値観」の実体を相対化する役割を果たし得る存在だった。そこに、超高齢ながらゴルバチョフの立ち位置があり、現役のステイツマンとしての存在意義があった。ウクライナ戦争についても、早い時期から即時停戦を呼びかけている。対話と交渉のみが唯一の解決方法だと叫んでいる。この立場と主張は私と同じだ。ウクライナに武器支援をせよなどと言っていない。最愛の妻ライサはウクライナ人だった。ゴルバチョフにとってウクライナ戦争はどれほどの心労と苦痛であり、命を縮める厄難だったことだろう。 ゴルバチョフに同情する。つい先日、ゴルバチョフの最晩年の日々を撮ったドキュメンタリー番組をNHK-BSで見たが、どれほど強くライサを愛し、今でもライサに思い焦がれ、ライサの面影を追い続けているかが映し出されていた。秀才のゴルバチョフはロシア的な情熱家のロマンティストで、カメラの前で青春の恋愛詩の一節を詠み上げ、「女性を愛し、愛されること、人生にそれ以上意味のあることなんてあるのかね」と言っていた。23年前にライサに先立たれて、ゴルバチョフは生気をなくし、生ける屍のように変わった。ライサこそがゴルバチョフの教師であり指導者であり、決断の根拠であり、自信の源泉だった。… … …(記事全文4,660文字)
世に倦む日日
田中宏和(ブログ「世に倦む日日」執筆者)